「つやのよる」をみた
艶(つや)という名前の女が死にかけている。場所は伊豆大島。
必死に看病している夫の松生は、かつて艶と関係があった男たち、さらにはその男たちの妻や恋人に艶の瀕死を知らせる。
なんでそんなことをするのだろう?
艶はどうやら多情な女だったらしく、数多くの男と関係を持ったらしい。だがしかし、映画はその男たちではなく、男たちの妻や恋人、娘である女たちを描く。艶が死に瀕していることを知った女たちに、さざ波のように動揺が広がっていく。その様を描く。
松生を演じるのは「下町ロケット」の阿部寛だが、佃航平の熱気は微塵も感じさせず、痩せこけて眼だけギラギラ光らせた、女によって人生を狂わされた男を演じている。艶は最後まで顔を見せない。病床に横たわっているが、カメラがその顔を写すことはない。ただ、関係を持った男たちやその女たちの物語によって、艶の人生が断片的に伝わってくる。
一種のオムニバス作品である。女たちは互いに関係を持たないが、艶および松生によってのみつながっている。
「つやのよる」は「艶の夜の生活」でもあるが「通夜の夜」でもある。艶が死に、松生は通夜を開く。だが、艶と関係のあった男たちは誰も来ない。松生は死に顔の艶に向かって「お前と関係のあった男たちは誰も来ない。ざまぁみろ」と語りかける。死によってはじめて妻を独占できたことを喜んでいるのか。
ひとつわからないこと。冒頭と終盤、松生は潮だまりに入って何かを探している。何を探していたのだろう? 艶が何かをそこに投げ込んだのか?