コンテンツ評論 テレビ番組評

「#まれ」のここまで

まれ4月から始まった連続テレビ小説(朝ドラ)は「あまちゃん」以来久しぶりの現代ものだ。

とりあえず3週を終え第4週がはじまったばかりだが、主人公津村希(まれ)が高校を卒業して、今週から社会人編ということでいったんここまでの3週をまとめてみたい。

基本的なストーリーラインは、お菓子作りが好きな少女希が小学生時代に能登の漁村に移住し、いったんは地元の市役所に勤めるも、パティシエを目指して横浜で修行をはじめる(ということらしい)。

最初に言っておくと、ドラマを構成するさまざまな素材はすばらしい。
能登の風景がふんだんに入る映像も、バラエティに富んだキャストも一級品だと感じる。
キャストでは、主人公家の家主にして祖父母がわりとなる桶作夫妻の田中泯・田中裕子が光っている。

しかし、それらをまとめるはずのプロデュースや脚本がてんでなっていない。

スタートと同時に巻き起こったのが「あまちゃんと似てる」騒動。海辺の寒村、移住者の主人公ときたら比較しないでいろというほうが無理だろう。
社会現象ともなった「あまちゃん」が終わってからまだ1年半しか経っていないので、プロデュース側としては違いを強調しておく作戦が必要だったと思う。
ましてBSでは一週遅れて「あまちゃん」の再放送がはじまり、「まれ」の直前に放送されているのだ。

スタートは主人公希が小学生の時代。東京から一家で移住してくるシーンではじまる。
これは朝ドラの定番である「子役の演じるシーケンスを1週間ないし2週間はさむ」を踏襲しようとしたものだろう。
しかし、同様のシーンではじまる「ちりとてちん」にも似ている。
高校生時代からはじめて、回想シーンでおいおい移住時点のことはあかしていけば、こういう比較はされなかったのではないか?

もうひとつ、移住シーンの前、希の初登場シーンが(東京の)小学校での作文披露シーン「私は夢が嫌いです」と語るシーン。
どうやら主人公を「夢は嫌い。地道にコツコツ努力するのが好き」というキャラクターにしたかったらしい。

当然、パティシエになる夢を求めて修行をはじめる想定であるので「夢が嫌いなこの娘がなぜ夢を追い求めることになったか?」という反語的表現だろう。
だが、これが相当気持ち悪い。小学生にして「地道にコツコツ」なんていう少女は相当無理をしている。

普通でよかったんじゃないのか? パティシエへの夢も持っている。だが家族のために地道な職業も捨てがたい。そんなの普通だろう。
その葛藤の中でいったんは選んだ市役所職員の道を捨てて、パティシエ修業に出るのではなぜダメだったのか?

これは「朝ドラヒロインらしからぬ性格にしたい」という変な欲求があったからに違いない。

そしてその「夢が嫌い」な性格になったのは、夢を追い求める父親徹(大泉洋)への反発だという。
ところが、その父親がどんな夢を追い求めたかというと、それはドラマの中で全然明らかにならない。
せいぜい「どかんと一発当てる」とか「ちまちましたことは嫌い」というような言葉しか出てこない。

この徹は、移住1年後に出稼ぎに行くといって音信不通になり、6年後に舞い戻ってきたという設定。
しかし、オンエア上は回想シーンも含めると毎日顔を出していたため「不在感」は皆無。
これなど、毎日みるという朝ドラの特性を理解していない構成だろう。

せっかく大泉洋という当代きってのコメディ俳優を使っているのに、生かし切れてない感じがする。
不在にするより、むしろ張り切って何か商売でもやらせて、すってんてんになって桶作家に救われるという展開でもよかったんじゃないのか?
なんだかんだ言って動かない大泉洋は見ていたくない。

もう少し「現代物朝ドラの王道作品をつくる」という腰を据えた感じがあってもいいように思う。
「あまちゃん」もその前の「純と愛」も現代もの朝ドラとしては変化球だったので、ひねらず、斜に構えず、ストレートな現代もの朝ドラをみたいものだ。

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