デジタル・リテラシー
気になった記事。
Business Media 誠:アニメビジネスの今:アニメから実写へ、CGが変える映画監督のキャリアパス
実はハリウッドを見るとこの2人(注:『ジョン・カーター』の監督アンドリュー・スタントンと、『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』の監督ブラッド・バード)に限らず、セルアニメーションからCGアニメーション、そして実写映画へという道が、監督のキャリアパス、あるいは選択肢として生まれつつあるようなのだ。(…)
日本ではアニメではなく別の場所から映画監督になる道が開けた。それは特撮だ。先述したように、もともと特撮の役割は実写の表現領域の拡大にあり、その意味でCGとの親和性は非常に高い。(…)
その代表が山崎貴監督、樋口真嗣監督だろう。
アメリカではCGアニメから、そして日本では特撮から、大作実写映画の監督として活躍する人が出てくるようになってきた、という話。
筆者が語るには、その理由は彼らが「デジタル・リテラシー」の持ち主だからだというのだ。
それをひと言で言うならば、「デジタルによる画作りが分かる」ということになる。デジタル技術による画面構成は今や映像制作に欠かせない。特にSFやファンタジー系の作品でその重要度は増す。どのシーンでどのようにCGを入れるのか。また、CGと実写ではどちらが表現としてより効果的なのか。さらには、コスト的にはどちらが安価なのか。脚本や絵コンテの段階でそれらを判断して計算できるレベルにないと、少なくとも現在の大作商業映画は作れないような状況となっている。
観客は気づいているかどうかわからないが、今の大作商業映画でCG技術がからまない作品はほとんどないと言ってもいいくらい、デジタル処理がなされている。
これから商業映画の監督をめざす人は、単に実写のみで映画を作ってきた人よりも、CGや特撮合成といったことに秀でた人のほうが有利だということだろう。
しかし、そういう風潮が、最近の実写映画に感じる「何でもCGで作ってしまえる」感覚を助長するような気がするのは、老婆心だろうか。
実写しか表現手段がなかった時代、「そのものズバリは作れないから、何か別のことで表現する」 テクニックが生まれたのだが、これからは「いかにそのものズバリを作るか」というのが映画の表現という時代になるのだろうか?