映像文化を捨ててしまってOKなのか?
『 著作権を守る一方で原盤を廃棄しているCM業界 - 月明飛錫 』- BLOGOS(ブロゴス)
CMはその時代の大衆文化や雰囲気が凝縮された貴重な資料という側面があることは間違いないだろう。(…)
日本のCMは、膨大な数の原盤が既に廃棄されているという。テレビCMといえども長期間保管するためには、膨大な保管場所が必要となり、コストがかかる。(…)
日本のCMに関しては、閲覧制限し、コピー制限をしておいて、原盤を廃棄するのでは、「文化の発展に寄与」するのではなく、それを利用した研究を妨げることになってしまっている。今の日本の著作権や肖像権は、本来の意図をはなれて、守ることに意義がある、という状態になっているのではないだろうか。
私はCM制作会社で働いていたことがあるから、よくわかる。
たしかに、オンエアが終わってある程度の時間が経つと、原版は廃棄されていた。
映像文化とは何だろう? 芸術的な映画だけが文化ではないのだ。
私たちが日常呼吸するように、創り出し、視聴し、消費している映像それ全体が文化だ。
経済の一部だから文化だということもない。
ほとんどの経済活動は文化活動でもある。
バラエティも、AVも、もちろんCMだって映像文化の一部なのだ。
CMなど、テレビという強力なメディアで繰り返しオンエアされ、時代の空気を作った非常に重要な文化だといえる。
膨大な数のCM原版が廃棄され、二度と見ることができない。
おそらく、今でも生きている多くの人たちがまだ懐かしく覚えている作品がだ。
CM制作会社では、ひとつひとつのプロジェクトを「作品」と呼んでいた。
数多くの「作品」が廃棄されてしまったわけだ。
デジタル化によって、アーカイブ技術が進んだ今こそ、CMという作品のアーカイブが残されなければならない時代だろう。