「ザ・ウォーカー」をみた
核戦争後の荒廃した世界。
ひとりの男が西に向かって徒歩で旅をしている。
ひとつの本を携えて、それを毎日読みながら。
自分に降りかかる火の粉は払う。そして無茶苦茶強い。
しかし、無関係な人々にはできるだけ関わりを持たないようにしている。
そう、まるで「木枯らし紋次郎」のように。
男は、ある街に辿り着く。その街を支配する男は「ある本」を探していた。
たったひとつしかない、特別な本だという。
このあたりで薄々想像がついたが、その本とは「聖書」である。
これは、SFアクションに姿を借りた宗教映画だ。
暴力の支配する荒廃した世界は、彩度を抑えた色の乏しい世界として描かれている。
やっぱりと思ったが、ラストシーン、主人公が辿り着く西海岸は色彩豊かに描かれていた。再生の希望を表現したかったのだろう。
面白いのは街の支配者が聖書を探す理由。
彼は「支配の道具」として聖書、つまりキリスト教の教えを使おうとしている。
暴力が支配する核戦争後の世界。
ひとつの街は力で制した。
だが、他にいくつもの街を作り、もっと多くの人々を支配するのには、暴力では無理だと彼は思っている。
人々にキリスト教の教えを説き、それによって人々を自分に帰依させることを目論んでいるわけだ。そのための道具として聖書が必要だった。
「過去の支配者と同じことをするのだ」と彼はつぶやく。
だが、核戦争後ほとんどの聖書は焼かれてしまった。
なぜならば、それが戦争の原因だったと人々はみなしたからだ。
おそらく、核戦争の原因は宗教間の対立だったのだろう。
宗教映画だが、この映画は宗教を礼賛しているわけではない。
宗教さえ、それを取り扱う人々の態度によっては、悲惨なことに陥る可能性をこの映画は示している。