平成徒然草

必殺流事業仕分け

2010/12/07

事業仕分けの第二弾後半戦とやらがはじまって、さっそくニュース番組を賑わせている。
これで都合三回目になる事業仕分けだが、その効果のほどはいったいどうなのだろう?

事業仕分けそのものには法的拘束力がなく、仕分けの結果も参考意見程度だという。
その参考意見の仕分けに、さらに「見直し」という判定がある。
「見直し」といわれてちゃんと見直す役人がどれほどいるのだろう?
「見直しました。が、やはり現状が最良だと判断しました」と言えばおさまってしまっている。

メディアは事業仕分けの会場で行われる会話は注目しても、「見直し」のその後がどうなったかはほとんど伝えない。

この事業仕分けを見ていて、ちょっと時代劇を思い出した。
たとえば「遠山の金さん」のお白州のシーンである。

奉行の面前に引き出されてもなお、なんだかんだと申し開きを並べ立てる悪徳役人。
それを遮って「おうおう。お前の悪行は先刻ご承知なんだよぉ」と、片肌脱ぎでたんかを切ってみせる遠山の金さん。

いわば勧善懲悪の典型であって、エンターテイメント時代劇としては定石である。
この場合、悪徳役人は、遠山奉行の「お主らの悪行はきっちり詮議の上、厳罰を申しつける。ひっ立てい」という一声で連れて行かれて大団円。
悪徳役人が実際に刑に服したかどうかは、描かれない。
ひょっとしたら、うまく袖の下を使って、刑を免れたかもしれないわけだ。

水戸黄門も同じである。黄門さま一行がその土地から立ち去った後、悪徳役人がふたたびのさばったとしても不思議ではない。(なにしろ水戸光圀は幕府の重鎮ではあっても、諸藩の家臣に対する裁判権はないのだ)

事業仕分けといえば、語呂だけを合わせて「必殺シリーズ」のテーマ曲が流れるのだが、必殺シリーズはこうした勧善懲悪に対するアンチテーゼとして作られた時代劇だった。

必殺の世界では、悪人は裁かれるのではなく、退治される。仕事人らもまたひとつの悪であり、悪が悪を倒すというのが必殺シリーズの構図だ。

民主党が天下り役人を根絶するというのに、なんとなく似てはいないか?

-平成徒然草
-,