コンテンツ評論 テレビ番組評

「#スカーレット」をみた

しばらく間が空いてしまった。前回が「なつぞら」だったから、ちょうと半年だ。いかんいかん。

また、少しずつ書いて行くのでよろしくね。

スカーレットはいろいろな意味で異色の朝ドラだった。

幼少期から中年期までに至る、主人公喜美子の父常治の存在もそう。
主人公が特別扱いされず、貧乏な生活をなかなか抜けられなかったこともそう。
主人公がなかなか報われず、何かを得るたびに何かを失うような人生だったこともそう。

だが、やはり一番は「川原喜美子が陶芸家として認められるまでを描かなかった」ことが最大の異色だろう。

職業ものの朝ドラとしては、最大の肩すかしだ。

魅入られたように穴窯に取り組み、借金をしてまで成功させたその執念。
当然のようにここで逆転劇がはじまり、主人公がその結果として陶芸家として認められ、それまでの不遇の生活が報われるだろうと思った。

ところが、描かれる時は突然7年先へと飛ぶ。
その時代にはすでに喜美子は陶芸家として認められ、作品は高値で売られている。
経済的にも十分潤っている状況が描かれた。

BK(NHK大阪放送局)制作の朝ドラはビジネスドラマとしての側面を持つ作品が多いが、「スカーレット」はそうではない。
ビジネスとしての陶芸家を真っ向から否定してみせたのだ。

思うに、「スカーレット」は人生に起こる変化を描くのではなくて、変化の起きた後の日常を描いてきた。
信楽で日常を過ごしていく主人公。そこには陶芸家としての「仕事」も、家庭も含まれている。

日常の中にある喜びや悲しみを淡々と描いてきたのが「スカーレット」だ。
そういう意味で「ドラマ」というよりは本来の「連続テレビ小説」に近い作品だった。

この作品が将来名作と呼ばれるのかどうかはわからないが、主人公が愛されキャラであるお花畑的な作品の多い朝ドラの中では異色作だったことはたしかだ。

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