関西テレビの捏造訂正番組をみた
3月 29, 2007 on 9:11 am | In テレビ番組評 | 1 Comment昨晩、関西テレビが「発掘!あるある大事典II」の捏造問題について、訂正と謝罪をする15分の番組を放送していた。
ベテランアナウンサーが登場し、調査によって捏造と判明した部分を淡々と説明するだけの番組。その後、捏造ではないが演出などに問題のあった部分については、その放送回のみを列挙し、最後に頭を下げて謝罪するだけの番組だ。
ゴールデンタイムの一角を利用して放送するには、実に異様な番組だと思った。もちろん関西テレビはこの問題によって民放連追放という事態にまで追い込まれているのであって、なりふりかまっている場合ではないだろう。
問題のあった箇所を説明するのはアナウンサーでかまわないだろうが、謝罪はやはり経営責任を問われる社長がすべきではないかと思った。ただし、これで最後ではなく、さらにどこに問題があったか調査が行われ、その結果も番組として放送すると言及されたから、おそらくその時には社長が出演するのだろう。
「●●で放送したこんな事実に問題がありました。申し訳ありません」という事実の発表でこの問題が終わるわけではない。そもそも問題の根源は、番組の制作体制として、最初に結論ありきの番組構成をとったというところにあるのだ。
その裏には視聴率をとるためには何をやってもいい、という放送界の風潮があるはずだし、それをよしとした関テレの経営陣の責任もそこにあるはずだ。
「頭をさげておれば、批判が頭の上を通り過ぎていく」という言葉にあらわされるように、謝罪の表明は本心からではないことが多い。だからこういう番組を見せてもらっても、何の感動もそこにはない。
これから関テレがどういう制作方針をとっていくのか、その表明こそが大事だと思うんだが、どうだろうか。
投稿スタジアム
3月 28, 2007 on 11:28 am | In ネットと映像の関係論 | Comments OffよみうりテレビがWebで募集した動画をテレビで紹介するという試みをはじめる。
RBB Today「gooが動画投稿を募集~優良作は地上波テレビで紹介」によると、
讀賣テレビ放送(YTV)とNTTレゾナントは共同で、ポータルサイト「goo」上に特設サイト「投稿スタジアム」を開設し、ユーザに向けオリジナル動画の投稿を募集する。
レベルの高い作品は地上波テレビ(YTV)で紹介し、審査により優秀作品を決める。
「投稿スタジアム」では、3つのテーマごとに動画作品を募集する。3つのテーマとは、お題に沿った一発ギャグを投稿する「大喜利バトル」、主催者側が作成した映像に、ユーザが音声をアテレコして投稿する「アテレコバトル」、また女性限定の応援メッセージ・罵倒メッセージを募集する「応援娘・罵倒ギャルバトル」だ。
テレビ屋さんは、Web動画を目の敵にしてきたような気がするが、ひとつ融合に向けた試みをはじめるのだろうか。
テーマフリーの投稿も受け付けてもいいような気がするが、やっぱりダメなのかな。
投稿スタジアムのWebページはこちら。
巨人戦はネットで応援?
3月 27, 2007 on 3:06 pm | In ネットと映像の関係論 | Comments OffAV Watchが伝えるところによれば、
日本テレビ放送網株式会社(日本テレビ)と読売新聞社は26日、プロ野球の2007年シーズンにおいて、読売巨人軍の主催する72試合の全てを無料でインターネット配信すると発表した。
配信はストリーミング形式で、帯域は500kbps/1Mbpsから選択できる。試合は全編が視聴できるが、ライブ配信ではなく試合終了後から翌週同曜日の24時まで。なお、視聴は国内からのみ。
うーん。巨人ファンがうらやましいぞ。
阪神は…、やらないだろうなぁ。少なくとも無料では…。
ライブ配信ではない、というところが微妙だが、まあ無料で思い切ってくれたのでよしとしよう。
昨年は、楽天戦が無料で(試合中に)ネット視聴できた。
今後は増えるだろうなぁ。
地上波放送がないときだけでいいから、試合中に見られるようにしてほしいけど。
「アイスエイジ2」をみた
3月 26, 2007 on 11:36 am | In 映画・DVD評(洋画) | Comments Off残念ながら前編の「アイスエイジ」は見ていない。
氷河時代が終わりをつげるのか、氷河が溶け始めている。やがて谷を水が襲うことを予感して、谷の動物たちは大移動をはじめる。マンモスのマニー、サーベルタイガーのディエゴ、ナマケモノのシドたちはその中で、自らをフクロネズミと信じているマンモスのエリーと出会うが…。
最近のCGアニメ映画はその動きなどに、あまりアメリカン・アニメの系譜を継いでいる気配を感じないのだが、この作品は正しく「トムとジェリー」や「原始家族」など、私の世代が子どもの頃にみたなつかしいアメリカン・アニメ作品の匂いがする。本筋とは別に、ドングリを狙っているリス(?)の動きなどに、それがあらわれているようだ。
スラップスティックなドタバタアクションだけで、一作品作った映画も見てみたいもんだ。
「フラガール」をみた
3月 23, 2007 on 8:37 am | In 映画・DVD評(邦画) | Comments Off関西人である私には「常磐ハワイアンセンター」じたいに馴染みが薄い。
昭和40年の福島県が舞台である。
それまで「黒いダイヤ」と呼ばれてきた石炭の需要が減って、炭坑が縮小される。その余剰人員の雇用を確保するために炭鉱会社が設立したのが「常磐ハワイアンセンター」なのだという。
この映画は、そこでハワイアンダンサーとしてデビューした炭坑の娘を中心にした物語だ。松雪泰子演じるダンス教師の指導のもと、蒼井優ほかの炭坑の娘たちが葛藤しながら一人前のダンサーに育っていく姿を描く。
ただね、なぜ炭坑の町に「ハワイアン」なのか、観光施設としたって他にいろんな企画がありうるのじゃないのか、と思う。そこらあたりをもっと描き込んだほうが面白かったのじゃないか、という気がするんですな。今、あちこちで町おこし村おこしが緊急の課題になっている。いわば、そのハシリともいえるストーリーなのだから。
物語中盤、主人公の親友が父親に従って夕張炭坑に引っ越していく。今頃は、いいおばあちゃんになって夕張で大変な目にあってるのかもしれない、という気がした。
「日本沈没」をみた
3月 22, 2007 on 3:04 pm | In 映画・DVD評(邦画) | 1 Comment見終わって思った。これじゃ日本沈没じゃないやん。
少なくとも小松左京の描いた「日本沈没」ではないことは、承知のうえだ。小松が描きたかったのは日本という国土を失った日本民族の行く末であり、そのための手続きとして日本を沈没させる必要があった。
深海探査艇パイロット小野寺や、地球物理学者田所博士というキャラクタは引き継いでいるものの、この映画のストーリーは小松版とは全然ことなる。まあ、それはいいとしよう。
映画を見ていない人には申し訳ないが、この映画のラストで日本は沈没を停められてしまう。田所博士が立案し、小野寺が自分の命をかけて実行した作戦で、日本を深海に引き釣り込んでいたマグマの動きが止まってしまうのだ。その結果、日本の大半は沈没をまぬがれる。これのどこが日本沈没だろう。
テレビ画面で見たせいもあって、災害シーンは作り事にしか見えず、人間ドラマはうすっぺらに感じた。何を作りたかったのか、よくわからない。
投稿ムービーの限界をいかに超えるか
3月 20, 2007 on 7:59 am | In 映像文化を語ってみる | Comments OffITmediaに映像系エンジニア/アナリストの小寺信良氏がコラムを寄せている。
「ムービーがテレビを捨てる日」意味深なタイトルだ。
テーマは、デジカメやケータイの動画撮影機能が動画コンテンツにどう影響を与えるのか、ということだ。これは映像づくりの文化復権をとなえる私としても非常に興味があるところなのだ。
小寺氏は、動画メインのデジカメについて、下記のように語る。
これらのデジカメの動画機能は、テレビ屋から見れば「わかってない」ということになるかもしれない。だが筆者は逆に、「わかる必要はない」という気持ちもある。デジカメ動画は、もはやテレビに対しての互換性を捨てるべき時期に来たとさえ思っている。
テレビ制作の技術畑を経験した小寺氏であるが、真意はこういうことらしい。
目の前のものが「撮ること」によってどのように変化したか。自分の「こう撮りたい」という意志がどのように投影されたか、それが今すぐにわかるから、デジカメは面白いのである。(…)
これを動画でできないか。これが映像のプロの世界で起こっている、もう1つのムーブメントである。みんな映画のような個性ある映像を作りたいのだ。このアプローチは、ハイエンドのビデオカメラでも行なわれているが、もっとも簡単に実現できるのが、デジカメのムービー機能であるはずだ。「テレビに映す」ということをあきらめれば、ガンマや色温度、色域をむりやりNTSCに押し込める必要はない。もっと高い領域での映像美が表現できるはずだ。
たしかに、映像にとってテレビというのはひとつの受像手段にすぎない。
テレビが家庭の中心であった時代ははるか昔のことだ。キングオブメディアとしてのテレビの地位も揺らいでいる。テレビにこだわる必要はないような気もする。
それはよしとして、だがその先にあるのは何だろう?
小寺氏はYouTubeなどの動画コンテンツの隆盛にからめてこう語る。
そして今後問われていくのは、そこに写った面白い事柄の見せ方である。今後このようなムービー投稿サイトが隆盛となるならば、著作権的にクリアな完全なるプライベートムービーは、その大半が1カットとなることが予想される。一般の人が編集してまでコンテンツを作るというのは、今はパソコンを使えばそれほど難しくはないが、それをやるモチベーションが維持できない。
うーん。ここは賛同できない。
モチベーションが維持できるかどうかは、非常にパーソナルなことだ。おおかたの人はそうなのかもしれないが、「一般の人が…」と十把一絡げに言ってしまうのは乱暴だろう。一般人であっても、ちょっとしたモチベーションさえあれば、編集もするだろうし、コンテンツも作るだろう。
さらに小寺氏はこう語っている。
ただこのような投稿ムービーの面白さは、やがて限界が来るだろう。それはすでに現在のビデオジャーナリズムの中に顕著化し始めていることだが、「物作りの魔法」が起こらないからだ。
(…)
1人で作っていくものは、常に等身大の自分を超えられない。それを超えたければ、自分自身の成長を待たなければならない。だがその成長は、自分1 人ではなし得ない。個人投稿というムーブメントは、そういうループに陥りやすい構造を持っている。それは映像文化にとって、必ずしも良いことばかりはもたらさないということである。
これは激しく同意。
ただし裏を返せば、個人で制作・投稿したとしても、それをいろんな人が見て、レスポンスを返してくれ、それによって自分が成長をはかることのできる環境さえあれば、そのループには陥らないはず。
さらに言えば、そこで協業する仲間を見つけ、いっしょにものを作っていく面白さにめざめれば、一般の個人であっても映像コンテンツを作り続け、発信も続けていくことができるだろう。
そういう環境が必要であれば、作ろうと思う。
もうからんYouTube
3月 19, 2007 on 1:09 pm | In ネットと映像の関係論 | Comments Offグーグルに買収されたYouTubeだが、実のところそれほどよい買い物だったのか、と疑問視する向きがある。
MarkeZineが伝えるところによれば、
The New York Timesが3月8日に報じたところによると、Googleが2006年9月に16億5,000万ドルで買収した動画投稿サイトYouTubeの2006 年の広告収入が1,500万ドルだったことが明らかになった。これは、利益ではなく、売上高。買収のためにGoogleが支払った金額の約100分の1という事実に、同紙の記事は厳しい論調となっている。
YouTubeがもうかってない、というのはよく知られていた事実ではあるが、まさかそれほど売上高が低かったとは…。
というか、ビジネスモデルが確立していなかったうちに、期待買いされたというのが真相だろうか?
YouTube以降、さまざまな動画投稿サイトが林立したが、本家がこれでは他もまた大きなもうけはあるまい。いや、もっと苦しいことだって考えられる。これから廃業が相次ぐかも…。
「UDON」をみた
3月 15, 2007 on 5:21 pm | In 映画・DVD評(邦画) | Comments Offうどんは好きだ。特に讃岐うどんは、ブームのずっと以前から好きだった。
讃岐うどんブームの火付け役になった「麺通団」のエピソードと、うどん一筋に生きた製麺職人の父と息子の物語を、香川県を舞台に描く。
正直いって、あまりうどんに対する愛情は感じなかったなぁ。
香川の人は、一日に一回はかならずうどんを食う、といわれるし、うどんのゆで汁が公害になっているという話を聞く。それほど日常になじんだ讃岐のうどんへの愛着が、もうひとつ映画から感じられない。
ユースケ・サンタマリア演じる製麺職人の息子が、香川に帰ってきてタウン誌で仕事をすることになり、そこであまりにも日常になじんだ「うどん」を情報として発掘することによって、ブームに火をつけていく過程が前半。
設定は香川県人だが、ユースケはどうも地元民に見えない。外からやってきて「うどん」というネタを発見し、おもしろがっているようにみえてしまう。
もっと香川人のDNAに潜んだうどん遺伝子の謎を解き明かすような映画であってほしかった、というのは欲目だろうか。
なぜハリウッドがMANGAに興味を示すか
3月 15, 2007 on 9:19 am | In コンテンツの育て方 | Comments OffITmediaの『「日本アニメの実写映画化」にハリウッドが興味を示す理由』という記事には、こう書かれている。
なぜ、ハリウッドは日本のマンガに注目するのだろうか。非常に基本的な部分として、原作が面白いから……という理由があることは間違いない。ハリウッドは前述のとおり、常に面白いテーマ・ストーリーがないか探している状況にある。
だがそれ以外の理由として白田さんが指摘するのは、日本市場のおいしさだ。「映画産業的に見ると、日本は米国と同様に大きな、見逃せない市場。米国と日本の両方でヒットを飛ばすことができれば、興行成績も満足のいくものになる」
うん、そういう理由はたしかにあるだろう。
とにかく今、ハリウッドは原作不足に泣いている。
でなければこんなにアメコミの実写版ばかり作るわけがない。
日本市場が無視できないこともたしかだ。邦画ブームの影で、アメリカ映画のシェアが縮小しているということもあるだろうし。
ただ、もうひとつの理由があるはず。
「アメリカには、アニメ好きの外国人も多い。一方でプロデューサーたちは、自分で日本語を読めないからリサーチに限界がある。そのため、面白い作品があったり、面白いコンテンツを知っている人間がいたら、ぜひ紹介してくれとも言われた」
要するに、アメリカ人の中華思想。英語以外の言語を覚えようとしない。英語ですべてが通用すると思っている。
ところが、マンガは世界共通言語なわけだ。日本語の小説には興味を持てないが、日本語のマンガは興味を引く。
メジャー指向はプロ野球界ばかりではない。
要するに、ハリウッドのプロデューサーにプレゼンをかける時は、マンガにして持って行けということじゃないだろうか。
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