映像文化復権元年(終)

1月 31, 2007 on 7:33 am | In 映像文化を語ってみる | Comments Off

ここまで来ればもうおわかりと思うが、長々と綴ってきたこの文章は、私が運営しているSNS「DAVICS2 映像つくるヒトのSNS」の出発宣言文である。

映像文化に対する危機感にはじまり、いかに映像文化を復権するかと、個人的に考えた結果が、ここに至ったわけだ。

はっきり言って、このSNSが今後どのような発展をするか、運営者である私にとって見えない。しかし、ごく普通のテーマ特化型SNSとして動くつもりはない。

mixiの登録者数が800万人を越えたそうだが、mixi離れも目立っていると聞く。たぶん日本のSNSは岐路に立っていると思う。単なるコミュニケーションだけのSNSから、そこで得られた人脈やノウハウを現実社会へもたらすSNSへ。そういう質的転換が求められているのだろうと思う。

日刊デジクリに神田敏晶氏が「ウェブ3.0型社会の到来」というコラムを寄せており、こう書かれていた。

次のウェブ3.0型社会においては、ウェブだけではなくリアルな社会との相互の歩み寄りが非常に重要だ。単にデリバリーや効率化だけのネットワーク利用なのではなく、ネットワークやウェブで構築された文化や社会を、リアルな現実社会へと、今度はリプレースする必要があるのではないだろうか。

私の考えていることとピタリ一致している。

日本の映像づくりを巡るシーンを少しでも変えたい、というのが私の希望である。そういう考え方でこのSNSを運営していくつもりなので、今後また新しい展開があれば、このブログでもご報告していくことになると思う。

DAVICS2 映像つくるヒトのSNSの理念と活動状況に関しては、DAVICS2広報ブログをご参照いただきたい。

映像文化復権元年(12)

1月 30, 2007 on 9:06 am | In 映像文化を語ってみる | Comments Off

とりあえず、映像制作をテーマとしたSNSを作ってみようと思った。
だが、そこで考えたのは、どういう区切りで参加者を募集するかだ。

プロあるいはプロ予備軍のみに限る方法もある。これに自主制作を積極的にやっているクリエーターを加えるというのでもよい。

しかし、あえてアマチュア、それもいわゆるホームビデオ派まで加えることにした。

新たなSNSの遠大な目標は、日本の映像コンテンツ総生産力を引き上げることだ。
それにはどうしたらよいのか? もちろん映像クリエーターの人数を増やすこと以外にはない。

もちろん、人数だけ増えても質がともなわなければ何にもならないが、ともかく映像を志す人の数を増やさなければどうしようもない。

そのためには、ホームビデオ派にも参加してもらって、親を経由して子どもたちに映像への意識を植え付けていくしかない。

ホームビデオ派には、必ず子どもたちがいる。今はもっぱらビデオカメラを向けられる被写体かも知れない。しかし、親たちが単なる撮りっぱなしではなく、よりよい映像を撮り、編集し、人に見せようという意識を持ってくれれば、子どもたちになにがしかの影響を与えるにちがいない。

映像コンテンツの生産力を増やすのに、専門学校や大学の教育は役に立たない。それは質的向上にはなるかもしれないが、量的な増大には結びつかない。

小学校高学年から中学校くらいの子どもたちに映像づくりへの意識を持ってもらえれば、きっとその中から映像クリエーターを目指す青少年が出てくる。たぶん10年、20年かかると思うが、きっとコンテンツ生産力は向上する。

そう思ったから、このSNSは「映像づくりに興味を持つ者すべて」が参加するネットワークということにした。

映像文化復権元年(11)

1月 29, 2007 on 9:10 am | In 映像文化を語ってみる | Comments Off

長々と書いてきたが、1月一杯でこの文章もおしまいにする。もうちょっとだけお付き合いいただきたい。

「映像づくりについての知識とノウハウの共有」をネットでやりたい、と思ったとき、単純に私の頭に浮かんできたのは「日本の映像づくりにまつわるシーンを変えたい」ということだった。

今まで映像制作業界がはぐくんできたノウハウを、新しい世代や、幅広いクリエーター層にも無理なく伝え、共有することによって、なにがしか次の時代の映像づくりは変わるだろう。少なくとも、このままではダメだと思った。

日本の映像コンテンツ制作力を底上げする、そんな気持ちもあった。

金も権力もない人間が社会を(その一部でも)変えるには、人を集めるしかない。人が集まることによって、何かが変わるはずだ。

たまたま、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)というのが注目を集めていたということもある。mixiの上場で、インターネットに縁遠い人までもがその言葉を知るようになった。

これなら人が集まるんじゃないだろうか? そして集まった人が、何かその中で化学変化を起こしてくれるんじゃないだろうか?

そう思ったところに、私はOpenPNEというソフトウェアのことを知った。
オープンソースのSNSエンジンである。
これなら、簡単にSNSを作れる。そう思った。

映像文化復権元年(10)

1月 26, 2007 on 9:44 am | In 映像文化を語ってみる | Comments Off

私はネットワーク活動はけっこう古い。

最初はまだインターネットが一般的でない時代で(Junetといっていた)いわゆるパソコン通信の時代だった。アナログ電話回線にモデムを接続して、2400bps程度の遅い速度で通信する。NIFTY-Serveというネットに入った。

ネット体験から学んだことは、ネットはある程度人物像を抽象化するということ。もうひとつ、ネットによって新しい人間関係を作り出せるということだ。

「映像づくりについての知識とノウハウの共有」という理念をネットで実施できないか、と思ったのはそういう体験にもとづいている。

たとえば、映像制作現場で長い経験を持つベテランと、これから映像を作ろうとする若者、普通であればなかなか気軽な交流は持てない。たとえば若者が映像制作現場にアルバイトとして入ったとしても、それはベテランとペーペーのバイトとの関係となり、最初から気軽な話ができるとは思えない。もちろん、仲良くなってしまえば話は別だが。まして、そうした交流を持てる機会も、そんなに多くはないはずだ。

しかし、ネットを使えば、まったく違ったバックボーンを持つ二者が気軽に交流する環境を作り出せる、そう思ったのだ。

バカにしてんのか!消費者参加型CM

1月 25, 2007 on 12:00 am | In ネットと映像の関係論 | 4 Comments

他人のふんどしで相撲をとる、というが、こういうサービスがはじまるらしい。


CNET Japanが伝えるところ
によると、

 エニグモは1月24日、消費者が動画CMを制作して配信する法人向け新サービス「filmo(フィルモ)」(http://filmo.tv/)を開始すると発表した。
(…)
 filmoは企業から依頼のあった商品について消費者が能動的にプロモーションに関わることで、多様化するライフスタイルに見合った様々なパターンのCMが同時制作されるという、新しい形の広告プロモーション。企業にとっては、安価で多様なCMを制作することが可能となる。

 会員登録は無料。会員はfilmoから提供されるクリエイティブブリーフ(制作指示書)に基づいてCMを制作し、動画共有サービスと自分のブログに掲載する。

 その動画CMがfilmoの審査を通ると、2000円程度の制作費が支払われる。さらに優秀な作品には、CM視聴回数、広告訴求力、作品力などの評価軸に応じて、3~20万円程度の賞金が支払われる。

情けなくなるね。CMを作らせて二千円だとさ。
さらに優秀なら、二~三十万の「賞金」だと。

それは「企業にとっては、安価で多様なCMを制作することが可能」だろう。安かろう悪かろう、という言葉を知らないんだな。

お前ら、映像制作というものをバカにしてんのか!
血のにじむような努力をして、CMを作ってるクリエーターをバカにしてるのか!

映像文化復権元年(9)

1月 24, 2007 on 1:32 pm | In 映像文化を語ってみる | Comments Off

それでは、映像制作の世界をどうにかするのには、どうしたらいいのか。
単純にいうと、映像制作についての知識やノウハウを流動化させる、ということが望ましい。

現代の社会的構造では、知識やノウハウが固定化しやすくなっていると思う。

いわゆる「マニュアル世代」の登場だ。マニュアルに固定化されている知識やノウハウでないと受け付けない。人から知識やノウハウを教えてもらうことを、あまりよしとしない。人との交流は、もっぱら楽しみのためで(だから同年配、同人種との交流を好む)、勉強や修行のための交流というものをあまり求めない。

映像制作業界は、ある意味職人的な世界で、私がその世界に入った頃はまだ徒弟制度に近いような雰囲気が残っていた。会社になっていても、特定の先輩を師匠と仰ぎ、アシスタントとして仕えることによって、仕事を覚えていく。「習うよりも盗め」に近い雰囲気があったのを覚えている。さいわい、私の場合はやさしい先輩が多かったので、いろいろなことを教えていただいたのだが。

いわば、そういう師弟関係によって、知識・ノウハウの伝達が行われていたのだ。しかし、もうそんな知識・ノウハウの伝達は姿を消して久しい。

そういうものに変わる、何か別な伝達形態が必要だと思いついた。

「グーグル革命の衝撃 ~あなたの人生を“検索”が変える~」をみた

1月 23, 2007 on 7:56 am | In テレビ番組評 | Comments Off

グーグル革命は、今私たちの足下で起きている。なのに、なぜアメリカ取材だけで構成しようとするのかなぁ…。これでは、ネットに疎い人は対岸の遠い火事のように感じてしまいかねない。

はっきり言って、私にとっては目新しいネタはあまりなかった。ほぼ知っていることばかり。それでも、映像で見たという意味では新しい体験である。

GIGAZINEに「グーグルは今のままでは日本人の人生を変えることはできない」という記事が投稿された。たいへん興味深いので、引用しておく。

日本でGoogle AdSenseのクリック単価が上昇しないのは、参加する企業が他国と比べればまだ少なく、結果としてオークション方式のクリック単価が上昇しないためです(競争が行われないと単価は上昇しない)。

この原因は、日本においてはヤフーが検索市場で第1位であるという事実が背景にあります。そして、そのヤフーの検索結果に広告を出す方が儲かる(コストパフォーマンスが高いという意味であって敷居が低いという意味ではない)という事実があるためです。
(…)
このことから、「なぜGoogleは今まであらゆるメディアの長期取材を受け付けなかったのに、NHKの取材は受けたのか?」という理由が見えてきます。
(…)
つまり、Googleにとってはどうしても日本進出の足がかりとして知名度を上昇させる必要があり、そのために「NHK」という日本全国津々浦々に放送されるテレビ局の特集として番組が一本組まれるというのは非常にメリットのあることだ、というように判断したのではないか?と推測できます。

ううむ。要するにあの番組は、Googleのプロモーションに利用されたのか。

映像文化復権元年(8)

1月 22, 2007 on 8:18 am | In 映像文化を語ってみる | Comments Off

これまで「映像文化復権元年」などというタイトルで、なにやら書きつづってきたが「危機感ばかり書き連ねやがって、どこに復権の糸口があるのか。コノヤロー」と思われた方がおられたら、お詫びする。ちょっと前段が長くなりすぎた。

ただ、世間が(あるいは映像業界が)そういう危機感を持っていないように思えたので、具体的に私の抱いている危機感を伝えたかっただけ。「このままでは日本の映像文化はダメになる」という危機感だ。

これからは、その復権の手段についての話に移っていく。

話は変わるが、これからの時代は「シニア」がひとつの主役だそうだ。
団塊の世代の大量退職が今年はじまるといわれている。
今後はそうした高年齢層をどのように相手にするか、ということがマーケティングや実業の世界のひとつのポイントになる。

シニア層というのは、数十年にわたって実社会で活躍してきた人たちであって、職業的にも多くの知識やノウハウを抱えている。場合によっては時代遅れの知識・ノウハウもあるだろうが、まだまだ通用するものもたくさんあるはずだ。

いわばシニア層は社会の抱える情報資産ととらえることができる。これをどのように活用するか、というのも「復権」のひとつのキーであると、とりあえず言っておきたい。

VIDMETER

1月 19, 2007 on 1:14 pm | In ネットと映像の関係論 | Comments Off

「百式」の「動画ランキングの推移がわかる『VIDMETER』」によると、

このサイトではYouTube他の動画共有サイトでのアクセス数をまとめて表示してくれるとともに、その推移を教えてくれる。これならその動画の人気が上り調子なのか、下り調子なのかを判断できる。

ネット上のコンテンツにおいて、ランキングはいつでも人気だ。そのランキングに時系列のデータを加えるサービスを考えてみるといいかもですね

なるほど。

今現在のトップは「Paula Abdul - What is she smokin’???」であった。

映像文化復権元年(7)

1月 18, 2007 on 9:07 am | In 映像文化を語ってみる | Comments Off

そもそも文化という言葉で、何を思い浮かべるだろう?
人それぞれかも知れないが、私は自分が今呼吸しているものが文化だと思っている。

映像文化というキーワードを考えはじめた時、大学の聴講にでも行こうかと思って、ネットで各校のカリキュラムを調べたことがある。ちょうど関西の大学でも、映像を扱った学科や講座ができはじめていた。

Webで公開されているだけの情報しかないから、はっきりとわかったわけではない。ただ、名作映画などの分析を主とした講座が多かったように思う。

それが悪いとはいわない。もちろん、しっかりと評価の定まった名作を見て、映像文化の基本を養うことは大事だろう。国語だって、まずは名作を読む。

だが、一番大事なのは、いま私たちが日常触れている映像ではないだろうか。呼吸するように身体に取り込んでいる映像。

古い映画をいくら研究しても、今ビビッドに動いている映像の現在はわからないだろう。まして、その中に含まれている文化的な問題はあぶり出せないのではないか? 学問的な研究ならばそれでいいのかもしれないが。

問題は、日本の映像文化の地盤沈下をどうするべきか、ということなのではないか。はたして、それに対策はあるのか?

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