TBS・楽天問題は決着したのか?

11月 30, 2005 on 9:42 pm | In ネットと映像の関係論 | Comments Off

結局、楽天はTBSとの経営統合を取り下げて、両者で業務提携の道をさぐるということで覚書を交わしたようだ。

Internet Watchの記事より、

 TBSと楽天は30日、資本・業務提携に関する協議を開始することに合意したと発表した。提携に関する覚書には、みずほコーポレート銀行が立会い人として調印したという。

 発表された覚書の骨子は、以下の通り。

1.TBSと楽天は「放送とインターネットの連携」を実現するために真摯に協議・検討を開始するものとし、そのための「業務提携委員会」を発足させる。

2.楽天は「共同持株会社設立による経営統合」の提案については一旦取り下げる。(…)

業務提携の道をさぐる…、というので奇妙なデジャブに襲われる。

たしか、フジテレビとライブドアも同じような文句で和解したのではなかったか。その後、両者の間でどんな業務提携が協議されたのか、私は知らない。
速度を重視するIT企業のスケールで言うと、数ヶ月経っても何も結論が出ないということは、もう捨てたと同じことではなかろうか。

ということは、TBSと楽天で言えば、楽天が撤退したということになるのだろうか。

asahi.comの記事より。

 11月30日の東京株式市場では、楽天とTBSの株価が対照的な動きを見せた。ジャスダック上場の楽天は、前日の終値より3600円高い8万7000円で取引を終え、10月14日以来となる株式時価総額1兆円を回復した。(…)

 楽天の株価は、経営統合交渉が難航してTBS株買い増しのための借り入れによる財務体質悪化や増資に伴う株価下落の観測が強まり、10月下旬から低迷していた。(…)

 一方のTBS株は、「楽天が当面は株を買い進める可能性がなくなり、値上がり期待がしぼんだ」(IT担当の証券アナリスト)ため、売られたとみられる。

結局経営統合の可能性よりは、株価低迷に対処することを選んだ、ということだろうか。

つまり、撤退するための花道として「業務提携委員会」という名前が用意された、のだろうか。

日本には「考えておきます」という、ていのいい断り文句がある。外国人が後日、考えていただきましたか? と連絡してきて困らせた、という話があるが、これは断っているのである。きっと、この委員会もそういうことなのだろうな。

ただ、一方では、こんな話もある。

東京新聞の記事より
 TBSなど在京民放キー局五社が電通と提携し、来春から無料でテレビ番組のインターネット配信を始めることが二十六日、明らかになった。電通が番組に広告をつけ、同社が新設する運営会社が配信する計画で、この運営会社に民放各社が出資する方向で調整している。

 TBSはすでに運営会社への番組提供と出資に応諾した。

電通は民放の黎明期からその広告収入をサポートしてきた広告代理店である。結局のところ、ネット配信がどうのということではなくて、相手の顔が問題だったようだ。

三木谷社長は、この後どういう手に出てくるか(あるいは出ないか)わからないが、どうも電通に先を越されることになりそうだ。

ただ、既存業界のメンバー同士で本当に新しい事業ができるのか、未知数ではある。

「ナショナルトレジャー」をみた

11月 29, 2005 on 11:52 pm | In 映画・DVD評(洋画) | 1 Comment

ナショナルトレジャー、人民の宝、というのが昨今のアメリカをめぐる状況からすると皮肉にも聞こえる、アメリカ独立時に隠されたフリーメイソンの宝を探す冒険。

ナショナル・トレジャー
監督:ジョン・タートルトーブ
出演:ニコラス・ケイジ , ジョン・ボイト , ハーヴェイ・カイテル , ダイアン・クルーガー



Story
ジェリー・ブラッカイマー製作、ニコラス・ケイジ主演のトレジャーハントムービー。太古の昔から存在した伝説の秘宝が1779年の独立戦争の激化と共にその痕跡を絶つ。合衆国独立宣言書に封印された秘宝の謎に、歴史学…(詳細こちら

ディズニー映画である。アクションもばりばりなのに、不思議と人が死なない(最後の方で悪党の一人が縦穴に落ちて行方不明になるが、死んだところは見せない)し、主人公が妙に道徳的なあたりにこだわるのはそのせいだろうか。

十字軍が持ち帰り、フリーメイソンが蓄えた膨大な宝のありかが、合衆国の独立宣言書の裏に見えない地図として記されていると知った主人公ベン(ニコラス・ケイジ)は、資金提供者で裏社会の大物イアン(ジョン・ボイト)に裏切られる。
イアンが独立宣言書を盗むのを阻止するため、ベンは先にそれを盗むことにする。

突然、ここからスパイ大作戦風の盗みのテクニックを発揮しはじめるベン。イアンと違って、彼は素人のはずなのだが。ちょっと盗みがうますぎやしないか。

ひょんなことで行動を共にすることになった公文書館の職員、美人学者アビゲイルと共に、ベンはフリーメイソンの宝の秘密を解き明かしていく。

そもそも、十字軍の持ち帰った宝ということは、結局アラブ世界から盗んだもののはずなんだがなあ。それを人民の宝と呼んでしまうあたりに、アメリカらしさを感じてしまう。

独立宣言書などアメリカ独立時の逸話がたくさん出てくるが、これはたぶんアメリカ人なら学校でいやというほど習った故事のはずだ。だが、こちとら日本人。予備知識があまりないので、そのあたりを楽しめなかったのは残念。

だがサスペンスも十分、子供と一緒に見ても楽しめるアクションという点では、これはなかなか上質のエンターテイメント映画だといえる。

「GyaO」の映像ブログをみる

11月 28, 2005 on 12:50 pm | In ネットと映像の関係論 | Comments Off

USENグループの無料動画配信サイトGyaOの「映像ブログ」を見てみた。




どういう基準で選ばれているのか知らないが、アーティストやら評論家、はてはカリスマブロガーと称する女子大生までが登場し、自分で撮った(または知人に撮ってもらった)映像を公開している。
GyaOの仕組みというのは、民放と同じようなCM挿入ビジネスモデルで、再生を開始するとGyaOのロゴに続いてCMが上映される。今日は、映画の試写会告知だった。それに続いて、本編が上映されるわけだ。

ブラウザはInternet Explorerにしか対応しておらず、FireFoxを常用している私には、ブラウザを立ち上げ直すのが手間である。しかも、複数の画面が散らかる傾向がある。これはいただけない。

上映サイズは大画面を選択した場合、非常に大きい。
920×680ピクセルくらいかと見える。
こんなに大きい必要があるのか、と思うくらいだ。
(よく使われるPC画面サイズが1024×768くらいなので、そこでフル画面に近いサイズになることを見越してのことだろう。しかし通常のビデオカメラの収録サイズが720×480なのだ。HDコンテンツでない限り、拡大していることになる)
やはり、目を近づけてよく見ると画面の荒れが目立つ。

その画面の上にも広告バナーが掲載されている。
バナーは時々交換されるが、バナーの変わり目がちょっと気になる。

映像ブログをいくつか見てみたが、無編集、撮りっぱなしの映像が多い
編集してあるのも、NG抜き、短縮化くらいの編集と見える。
こんなもの大画面で見る必要があるのかなあ、と思わせるものも結構ある。

リンク切れか、CMの後本編が出てこないものもあった。CMだけ見せられて損した気分になる。ついでに言うと、CMはどれも同じで、何本も見ると嫌になる。

問題なのは音声である。ほとんどの音声がビデオカメラ内蔵のマイクを使っている。ノイズの少ない室内収録のものはまだましだが、屋外で収録しているものは、非常に音声が聞きとりにくい。

しかも、ほとんど音声レベルが低い。最初のGyaOのサウンドロゴに比べて本編の音声が低いのだ。ノイズがらみなので、不快感を感じないように低く設定してあるのかもしれないが、音声レベルの最適化調整は放送局なら当然だと思う。努力してほしい。(ちなみに映像ブログ以外のコンテンツでは音声レベルの問題はない)

内容は、申し訳ないが、私には興味を引かれるものはなかった。
最後まで見通す気にならないものが大半だった。
まあ、それは別にかまわない。
登場する人物が増えていけば、それなりに見られるコンテンツが増えてくるだろうから。

アーティストや評論家など、それなりに人を呼べるキャストは、おそらく何らかの謝礼を得てブログを掲載しているのだろう。

だが、その中で映像制作に従事しているコンテンツメーカーといえるのは、映画監督がひとりいるくらいである。

テレビは時間枠が限られている中に詰め込むのであるから、どうしても視聴率を稼げるコンテンツを中心に編成することになる。しかし、GyaOのようなビデオ・オン・デマンド型の放送形態ならば、玉石混淆であっても大量のコンテンツを用意し、その中から視聴者が何を選ぶのかによって選択していくことが可能である。

GyaOは映像ブロガーの一般公募を行ってはいかがだろう。
文字のブログでのカリスマブロガーが映像ブログでもカリスマだとは限らない。むしろ、映像ブログのカリスマが生まれてくることを期待できるのではないか。

ブログという名がついているからといって身辺雑記や評論と限る必要はない。自主映像制作者などの発表の場として使われることも期待できる。
たとえば、アニメの自主制作者などは、個人でやっている限り短編が多いはずだ。映像ブログの枠内で十分に配信できるのではないだろうか。

いわば、映像コンテンツメーカーの登竜門としての役割を期待できるのではないかと思う。

ただしインセンティブは用意していただきたい。
当然視聴アクセスの記録は残るわけだから、多くのアクセスを稼いだ作品にはある程度のペイをしていただきたいのだ。

アクセスが少ない場合はノーペイで結構。さらにほとんど見てもらえない作品はどんどんメニューの下方に追いやられ、最後には削除されるということでかまわない。

常時多くのアクセスを稼ぐことのできる映像ブログ作者には、ある程度の制作資金を与えて作品を制作する機会を与えていただきたい。
作品は、GyaOの他のチャンネルで上映すればよいし、ある程度のボリュームが貯まれば、オリジナルDVD化などの商品化もできる。

他のジャンルで成功した有名人を迎えてのブログだけではなく、GyaOの中からコンテンツメーカーを生み出すという試みに着手してほしいのだ。

「STAR WARS エピソード3 シスの復讐」ふたたび

11月 28, 2005 on 12:02 am | In 映画・DVD評(洋画) | 4 Comments

劇場ではじめてみた時にも書いた(7/19『「スターウォーズ エピソード3 シスの復讐」を見た』)が、今回DVDで再見するにあたって、アナキンの変化に注意してみることにした。

スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐
監督:ジョージ・ルーカス
出演:ヘイデン・クリステンセン , ナタリー・ポートマン , ユアン・マクレガー , イアン・マクダーミト



Story
ジョージ・ルーカス監督が壮大なスケールで描く一大叙事詩「スターウォーズ」サーガを締め括る最終章。アナキン・スカイウォーカーがフォースの暗黒面に転落し、ダースベイダーに生まれ変わる過程と銀河共和国の終焉…(詳細こちら


エピソード2までのアナキンは、正義と愛に熱い心を持ちながらも、復讐心に我を忘れるという一面も持っている青年として描かれている。(現代日本のいわゆる「キレる青少年たち」と共通するものを感じる)

エピソード3は、つまりこのアナキンがシスの暗黒卿ダース・ベイダーへと変貌する過程を描く物語といえる。

エピソード3の冒頭、アナキンはジェダイの掟に背いてすでに戦闘力を失っているドュークゥー伯爵を殺す。パルパティーン議長の支配を最初に感じさせるシーンだ。しかし、この段階ではアナキンは暗黒面へ走る動機を持ち合わせていない。

アナキンに暗黒面への傾斜を感じさせる直接の動機は、その直後に妻であるパドメの死を予感させる夢を見ることであらわれる。それは単に予知夢であり、パドメ自身は死を予感していない。

パルパティーン議長は、そのアナキンに対してシスの持つ暗黒面の力を語ってみせる。人の死さえも左右することのできる強大な力だ。アナキンは、ここではじめて暗黒面の力に魅力を感じる。

それは、すでに彼がパドメの死を避けられない未来として受け止めており、パドメを救う手段が他にないと信じたからだ。

どうも納得がいかないのは、単なる予知夢にすぎず、何ら現実的に影を見せていないパドメの死を、なぜアナキンが避けられないと信じたか、だ。パドメが死期を予感したわけでもなく、誰かが予知夢の現実化を示唆したわけでもない。

合理的な解釈は、すでにパルパティーンのマインド・コントロール下にあったという考え方だ。しかし、描写にはそれは感じない。

アナキンを取り込もうとするパルパティーン議長は、ジェダイ評議会にアナキンを評議員の一員にすることを要求。評議会はそれに対して、評議員の資格は与えるもののマスターには昇格させないという決定をする。

このことへの不満のため、アナキンはジェダイ評議会から心が離れていく自分を感じる。

しかし、アナキンは、パルパティーン自身がシスの暗黒卿であることを知り、ジェダイ評議会に注進。この段階ではまだジェダイに対する忠誠心は残されているようだ。

それが最終的に崩れるのは、パルパティーン逮捕に向かったマスター・ウィンドゥを阻止した時である。ここで、アナキンは最終的にジェダイに背いてシスに忠誠を誓い、ダース・ベイダーの名を与えられる。

ここから一気にアナキンは暗黒面に落ちていき、かつての仲間であるジェダイの殺戮に走る。しかし一方、パドメを思いやるなど、普通の人間としての感情は、ここに至っても消滅してはいない。

しかし最後に、別行動していたオビ=ワン・ケノービがアナキンを追跡、対決によって最終的にアナキンを倒した。だが、アナキンを弟同然と思ってきたオビ=ワンにはとどめを刺すことができず、立ち去ってしまう。

この後、銀河皇帝となったパルパティーンが瀕死のアナキンを探し出し、失われた四肢を機械で補い生命維持装置を備えたマスクとスーツを与えることによって再生させた。

再生なったアナキンは「パドメは生きているか」と問いかける。しかし、その時すでにパドメは双子を出産して後息絶えている。銀河皇帝に「お前の怒りがパドメを殺した」と言われ、アナキンは苦悶の声をあげる。

ここでアナキンの人間らしい心がほぼすべて失われ、暗黒面の権化であるダース・ベイダーが完成することになる。

わからないのは、パドメがなぜ死ななければならなかったかだ。
劇中「肉体的には健康なのに、生きる意欲がない」と説明されている。だが、子供を生んだばかりの母親がはたしてそんな状態になるだろうか。

アナキンがすでにダース・ベイダーと化していることを知ったとしても、子供に対する愛がパドメを生かさないと嘘のような気がする。

前の疑問と合わせて合理的な解決を見出すならば、パドメが死病に冒されていたことにした方が、アナキンが暗黒面の力を求める動機づけにもなり、納得できるような気がするけども。

私が脚本を書いているなら、きっとそうする。しかも、その病の原因は銀河皇帝が彼女に毒を与えたことにする。完全にアナキンが銀河皇帝の手のひらの上で踊らされていたことを明白にするために。

それはともかく、最終的にアナキンをダース・ベイダーへと追いやったのはオビ=ワンだと思う。死につつあるアナキンを放置して立ち去った後、アナキンの心は憎しみで満ちたにちがいない。生き返らなかったら、化けて出ただろう。

エピソード4(第一作)につながなければならない、という条件のために、ややストーリーに無理を感じたのは、劇場で見た時と同じ。

今回のレビューは、アナキンをめぐる心理だけに集中した。
VFXやアクションは、スターウォーズ全作の中でも傑出しているものだと思うし、十分に楽しめたことを付記しておきたい。

「たかじんのそこまで言って委員会」について言う

11月 27, 2005 on 4:24 pm | In テレビ番組評 | Comments Off

関東あたりでは放送されてないので、ご存知でない方も多いはずだが、関西では日曜の昼(13:30~15:00)に「たかじんのそこまで言って委員会(よみうりテレビ)」という番組を放送している。

いわゆるトークバラエティというタイプの番組である。
やしきたかじんは本来、情報を記したパネルを指し棒で叩きながら大声を張り上げるという芸風のタレントである。しかし、この番組では委員長という役を与えられ至極まじめに司会に徹している。

副委員長(進行役)によみうりテレビ解説委員(報道局次長でもあるらしい)の辛坊冶朗。この人は日テレ系の朝の番組に出ているからご存知の方も多いだろう。

他に、委員(パネラー)として毎回7名がひな壇に並ぶ。
レギュラーとして出ているのは、評論家宮崎哲弥、弁護士橋下徹、落語家桂ざこばの三氏、あとの四名は週替わりで、よく出てくるゲストとしては政治評論家の三宅久之氏や、元参議院議員の田嶋陽子氏などがいる。

このあたりのメンツは「たけしのTVタックル」などの全国放送の時事トーク番組と共通の感がある。つまり、メンツ自体には関西色は薄い。

この委員たちに、政治から芸能まで時事ネタから「質問」を投げかけ、それをもとにトークが繰り広げられる。テーマによっては、専門家ゲストを呼んで解説を聞くこともある。しかし委員会と題されているだけあって、トークの雰囲気はかなり真面目な感じである。

最近この手のニュースネタトークバラエティは割と定着した感があるが、関西で収録しているせいかこの番組ではゲストの気分が違うようだ。(関東に放送されていないというせいもあるかも)全国放送の他番組ではみられない口の滑り方が見られることがある。

「TVタックル」では時に論争になってうるさいが、「委員会」ではあまり論争にならず、和気藹々とトークが進むことが多い。

このあたり、出演者の配列も大いに影響しているだろう。扇形の「タックル」に対して、「委員会」では出演者がひな壇に並んで同じ方向を向いているせいかも知れない。

ともかく、日曜の昼に聞くにはヘビーな話題も数多いが、それなりに聞きごたえのあるトーク番組ではある。いつもたいした結論は出さないが、いろんな人の意見を聞きたい向きには、時間つぶしには十分だろう。

ただ(毎週やってる番組の宿命だが)このところマンネリ化していることも事実。ここらで委員メンバーの刷新をはかった方がいいのではないか、この番組でしか聞けないような人物の意見を聞きたい気もする。

「上からぼかして消す」のいやらしさ

11月 26, 2005 on 11:17 pm | In 映像文化を語ってみる | Comments Off

テレビのニュース解説番組を見ていたら、先週の東京国際女子マラソンにおける高橋尚子選手の映像が出てきた。

いや、そのこと自体は何の問題もない。ただ、画面の一部に何か都合の悪い表示でも出ていたか何かして、上からボカシを入れてあった。私の主観だが、大変汚らしい。

よく、過去のテレビ番組を引用する際、こんな使い方が出てくる。たぶん、テロップが入っているのを消してあるのだろう。

テレビの制作者に伺いたいが、あれをどう思っていますか? 汚らしいとは思わないのかね。

どうしても、消さざるを得ない内容の場合は仕方がないだろうが、スポーツ中継なんか、後で引用されるのはわかりきっているのだ。後で消さなければならないようなテロップ表示を入れていない映像は残せないのだろうか。

スポーツの試合などは、二度と撮影できないワンチャンスの映像なのである。中継を担当した局は、その映像を後世に残す社会的使命を負っているのだと自覚して頂きたい。

後で消す必要のない、プレーンな映像をぜひ残してくださいよ。
後で引用される時のぼかしは汚いと自覚してくださいよ。
頼むから…。

「阿修羅城の瞳」をみた

11月 26, 2005 on 1:54 pm | In 映画・DVD評(邦画) | 3 Comments

いやぁ、宮沢りえがよかった!

阿修羅城の瞳
監督:滝田洋二郎
出演:市川染五郎 , 宮沢りえ , 樋口可南子 , 小日向文世



Story
劇団☆新感線の中島かずき原作による人気舞台を、歌舞伎俳優・市川染五郎と宮沢りえを主演に迎えて映画化した時代劇エンタテインメント。(詳細こちら


いわゆる伝奇時代劇である。

文化文政の江戸。人にまぎれて鬼が跳梁跋扈しており、その鬼を退治する”鬼御門”という男たちがいた。鬼御門の一員であった病葉出門(わくらば・いずも)は、ある日鬼を追った先で妖気につかれて幼女を斬った。

五年後、鶴屋南北の一座で役者に身をやつしていた出門は、不思議な縁でつばきという女とめぐり合う。

鬼の王である阿修羅の復活をめぐって、尼僧の姿をした鬼美惨と、元鬼御門の邪空が、つばきを追う。つばきを助けた出門は、彼女が五年前以前の記憶を失っていることを知った…。

つばきを演じる宮沢りえが、序盤、中盤、終盤と、変貌していくつばきの違った顔を演じ分ける。演技もいいが、なんといってもその風情ある表情がよい。

アイドルだった時には出せなかったその表情が、女優としての彼女の成長を感じさせる。

それに対して、出門を演じる中村染五郎はいまひとつ。伝奇物の主役としてはこんなもんか、という気もするのだが。なんとなく、舞台の感じを捨てきれない。殺陣の迫力もあまりない

終盤の舞台となる阿修羅城に、エッシャーの絵風のイメージが出てきたときにウェッっと思った。阿修羅城の造作やVFXも、戦隊物を進化させたような感じで、まったく凄みを感じない。

宮沢りえだけ見ていたような気がする。

「ものLog」はじめました

11月 25, 2005 on 4:39 pm | In ご案内 | Comments Off

まいど、映像職人’舞’録゛を読んでいただいて、ありがとうございます。

実は、日常生活の中で接するさまざまな「もの」(製品・商品に限らず、金塊から石ころまで、ありとあらゆる物)を取り上げて、情報、感想、使用レポート、願望、妄想などを書き連ねるブログを新たに立ち上げました。

ここは、映像を中心としたコンテンツ論、メディア論と、映画・DVD・TVなどの映像作品評ということでやっていますので、ここではなかなか取り上げづらかった話題をそちらで展開しようと思っています。

ブログ名は「ものLog」といいます。
モノローグ(独白)の洒落のつもりです。

URLは、http://kaba101.blog38.fc2.com/ですので、よかったら覗いてみてください。

こことはまったく違ったテーマ、雰囲気のブログになると思います。
目標はここと同じ、毎日更新。

「専門家ジャーナリズムを支えるネット」という発想

11月 24, 2005 on 11:44 pm | In コンテンツの育て方 | Comments Off

今夜は、両親と親戚の一人と夕食をともにしたのだが、その席で出た話題は例の「姉歯建築士」の問題であった。

父親は大学で建築関係を教えていた人間で、親戚は某大手ゼネコンで構造設計を専門とする建築士なもので、当然の展開ではあった。

今回の問題が発覚するまで、建築に構造設計という分野があることを知っていた一般人が何割いただろう。父の言うのは、一級建築士の資格を持てば建築に関することが何でもできてしまうこと自体が問題だという。構造の問題が前回広く取り上げられたのは、阪神大震災の時だったそうだ。

私は建築畑でもなんでもないので、こう言った。
「建築の問題は一般人が理解するのには難しすぎる。建築を専門としながら、建築にかかわる問題を提起しつづける専門家ジャーナリストはいないのか?」
どうやら、存在しないらしい。
「そんな活動をしても、食えないからな」

このような専門家ジャーナリストの活動すべき場所は、おそらくインターネットだろう。テレビはもちろん、雑誌や本も、専門的すぎる問題ではなかなか発表の機会を与えられない。何か問題でも起こって一般の注意が喚起されない限りは。

インターネットなら、コツコツと専門的な問題に関してジャーナリズムを展開することは可能だ。発表に関しても制限はない。そうして地味な活動を続けている専門家ジャーナリストがいたとしたら、今回はたぶん各メディアに登場して大活躍しただろう。本の執筆依頼も来たにちがいない。

また、こうした専門家ジャーナリストが常に注意を喚起しない限り、姉歯のような問題も数週間すれば別の話題に取って代わられ、忘れられてしまうだろう。

しかし、当面まったく収入にはならない専門家ジャーナリスト活動を続けていくのはよほど意思の強い人でないと難しいだろう。特に何の話題にもならない時には。

ネット上の優良なコンテンツにある程度のペイを与える仕組みがあれば、こうした専門家ジャーナリストの活動を支えるインセンティブになるに違いない。

ひいてはテレビ、雑誌、出版などのコンテンツの供給増につながるのだから、そうしたメディア各社が共同出資でそんな仕組みの確立をしてくれないものだろうか。

「縦書き」にこだわる

11月 24, 2005 on 2:29 pm | In コンテンツの育て方 | 10 Comments

私は映像職人だが、もともとは文章書きからスタートしたニンゲンで、20代の頃は小説を書いていたこともある。

当時はワープロなんて洒落たものはなかったし、パソコンもまだ漢字を扱えなかった。小説は原稿用紙に手書きが当然だった。

ブログをはじめコンピュータの画面では横書きが当然だが、小説は縦書きだ。いや、最近は横書きの小説もあるらしいが。

情報と割り切れば横書きでもそれなりにいいのだが、ある程度没入するコンテンツの場合は縦書きで読みたいのだ。ブログも、ちょっとエッセイ的なものを書くと、読み返していて「縦書きならばなあ」と思うのは私だけだろうか。

ブログで小説を書いてみようか、と思ったことがあるのだが、その時はやはり「縦書きで読んで欲しい」という思いがあった。

で、検索してみた。
縦書きブログ構築サービスというのは存在する。

プレスリリース
で、これがそのサンプルだ。
縦書きブログ「八軒屋南斎」

Movable Typeをベースとしたシステムである。Internet Explorerだとそのまま縦書きになるのだが、FireFoxだと対応していないが、自動的にFlash化してくれるので、そのまま縦書きで読める。

面白いのだが、要するにビジネスブログとかで使いませんか有料で構築しますよ、ということであって、Livedoor Blogなどと同じように個人でちょっと使えるものではないようだ。(値段が書いてないので、恐ろしくて問い合わせる気にならない)

どうも提供会社には、シニア向けには縦書きという意識があるようで、シニア向けコンテンツに、という文字がサイトに見えた。なんでシニアなんだ…。いや私もそろそろシニアかもしれないが。

できれば、縦書きブログのレンタルサービスを開始してほしいものだ。

後、RSSフィードを縦書きで読めるソフトというのも検索してみたが、これも存在しないようだ。こちらの方は、そんなに難しくないと思うんだが。

パソコンの画面は横長
なんだから(最近ワイド化の方向に走っているし)、縦書きで表示した方が読みやすいような気がするんだが、誰か提供してくれませんかねえ。縦書きコンテンツを簡単にインターネットで公開する手段を。

そんなに気にすることはない、という人もいるかも知れないが、インターネット上のコンテンツを豊富にする手段としては、ぜひ縦書きもあってほしいのだ。

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