篠田節子「アクアリウム」を読んだ
12月 3, 2007 on 8:32 am | In 小説・エッセイ評 | No Comments篠田節子は注目すべき作家だと思う。
それは、ひとつには彼女がおよそ既存のジャンルにとらわれないこと。
むしろ「ジャンルの篠田流再構築」をさえ意識しているようにみえる。
奥多摩山中の地底湖に未知の生物が棲息している。
偶然の出来事からその生物とかかわるようになった青年を主人公とした物語が本作だ。
青年は未知の生物とふれあい、「イクティ」と名付けた生物との交流を通して、それを愛するようになる。
いっぽう、林道工事によって、イクティの棲息環境は壊滅的なダメージを被ろうとしていた。
青年は、イクティの存在を伏せたまま、林道工事反対運動の渦中へ身を投じていく。
冒頭に書いたような意味で言えば、作者にとってこの物語はSFではないのだろう。
だが、私にはスタニスワフ・レム「ソラリスの陽のもとに」との類似性を感じる。
惑星ソラリスの「海」は、イクティのようにわかりやすい未知生物ではないが、同じように人間に対してある種のイメージを見せるという性質を持っている。そして、男性である主人公に対して特定の女性のイメージを見せることがストーリーの鍵になっている。
作者がそれを意識していたかどうかはわからないが。
帚木 蓬生「臓器農場」を読んだ
11月 20, 2007 on 7:25 pm | In 小説・エッセイ評 | No Commentsタイトルを見た時から映画「コーマ」を思い出していた。
まあ、タイトルがこうだからネタバレしてもいいだろう。
無脳症という奇形がある。生まれつき脳を欠いている奇形で、当然生まれても生きることはできない。ただ、臓器などは正常であることが多いので、幼児への臓器移植のドナーとして臓器を提供することはできる。
新人ナースの規子が、自分が勤務する病院の秘密に気づく。
その病院は幼児への臓器移植の実施例が異常に多いのだ。
それだけのドナーをどうやって確保しているのか。
しかも、産婦人科には一般のスタッフは入れない特別病棟がある。
一緒にこの秘密をさぐりはじめた小児外科のドクター、規子の同僚のナースが相次いで謎の死をとげる。
まあ、サスペンスの常道といっていいだろうか。惜しむらくは題名のせいで、読者は最初から真相をほぼ予測した上で読み始めることになる。「こうなるだろうな」と思ったとおりに物語が展開するのだ。はたしてこの題名をつけたのは計算のうえなのだろうか?
残念なのは、無脳症児を臓器移植のドナーとして使うことについて「人間とは何なのか? 命とは何なのか?」というディスカッションに発展できるはずなのだが、それが十分に尽くされているとは言えないところなのだ。
無脳症児は、一見無駄な生を受けて生まれてきたように見える。その臓器を、臓器移植でなければ助からない幼児のために提供することで、はじめてその生に意味が見いだせる、と作中の登場人物のひとりが語る。一見これは、非常に合理的なように思えるのだが。
この作品で描かれているように、本来正常に生まれて来るはずの胎児を薬物投与で無脳症にしてしまうというのは間違いなく犯罪行為だ。しかし、クローン技術で臓器のみを作り出す行為と、どちらが倫理的だろう。このあたりを作中で議論したら、それこそ面白い作品になったのではないかと思うんだが。
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