“アナログ”

9月 9, 2008 on 9:47 pm | In テレビ番組評 | No Comments

最近アナログテレビを見ていて腹立たしいことがある。

それは画面の隅に表示される「アナログ」という文字。
NHKでは常時表示されている。民放では、番組開始時のみしばらくの間表示されるようだ。

これって、何の意味もないのではなかろうか。
「アナログ」という文字を見て「アナログテレビ放送は2011年7月に終了するのだ」とわかる人は、わかっていてアナログ放送を見ている。そのことを知らない人にとっては「アナログ」という文字は何の意味も持たない。

入れるのなら「ご覧のアナログテレビ放送は2011年7月に終了します」と明確に入れるべきではないのか。

単に「アナログ」という文字だけを入れるのは、告知しているという言い訳をしたいがための自己満足にすぎない。違いますか?

「Tommorow ~陽はまたのぼる」最終回をみた

9月 8, 2008 on 9:36 am | In テレビ番組評 | No Comments

地方の病院の再生を描いた連続ドラマ。TBSの日曜劇場の枠だ。

そもそも、このドラマを最初に見始めたのは、主人公(演じるのは竹野内豊)が医療ミスの責任をとって医者を辞め、地方の市役所職員として働いている、という設定だったからだ。地方医療の問題に行政からの視点は不可欠だから、普通の医療現場ドラマとは違った感じになるのではないか、と思った。

ところが、主人公が市役所職員だったのはほんの序章部分だけで、さっさと医者に復帰し、以降はほとんど病院の中だけが舞台になってしまった。

財政難に陥っている地方自治体が、赤字続きの市民病院を切り捨てることによって破綻を避けようとする。病院スタッフたちは地域の医療のよりどころである市民病院を守ろうとする、というのがストーリーの基本線だ。これは現在の地方医療の問題を反映したものだといえる。

いろいろと経緯があって、市民病院が閉鎖に追い込まれ、スタッフも転職を余儀なくされる。というのが最終回までの展開だ。最終回は市民病院が閉鎖された地域で大事故が起こり、閉鎖された病院に大勢のけが人が運び込まれる。散っていたスタッフたちも駆けつけ、地域の人々といっしょに緊急事態を乗りきる。その姿を見て、これまで病院切り捨ての首謀者だった副市長が翻意し、市民病院の存続に努力することを宣言する。

…と、ここでいきなり1年後に話しは飛ぶ。そこでは市民病院は、主人公の提案によるオープン型の病院(地域の開業医との連携をするものらしい)として見事に復活している。おいおい。

副市長が翻意したら病院は復活するのか。再建とはそんな簡単なものだったのか?

このドラマ、むしろ最終回をスタート時点にしたほうがよかったのでは?
意志は決まった。後は方法、そしてプロセスだ。これはユニークなものになっただろう。

これはドラマだから…、という言い訳が聞こえてきそうだ。

結局、 描きたかったのは「地域医療の復活」などというテーマではなく、それを背景とした人間模様にすぎなかったということになる。ドラマという形で本当に実行可能なシナリオを描いて見せるような志は、まったくなかったのだな。

「CHANGE」をみた

7月 15, 2008 on 7:44 am | In テレビ番組評 | No Comments

話題のキムタク主演政治ドラマ…。

いくらなんでも政治素人で当選したばかりの一年生議員が総裁選に勝って総理大臣になってしまうのはどうか、なんて感想はいまさら言いたくない。

意外と政治というのはドラマのネタにはなるのだな、と思った。
過去にも何回か政治ネタのドラマはあったが、それぞれなかなか面白かった。
なのに後が続かない。

キムタクがいきなり総理大臣にはならず、一年生議員として政治の世界をじっくりと経験していく経過をドラマにしたほうが面白かっただろう。(話題性は欠けるかもしれんが)世間の常識は永田町の非常識、といった現象を経験しながら、主人公が政治家として成長していくドラマだな。

最近の連ドラはすべて1クールで片づくことを前提に企画されているから、こうしたじっくり構える設定に向かない。たとえば、1シリーズ半年。少なくとも3シリーズをかけて総理大臣まで登りつめるストーリーにする必要があるだろうな。

政治ドラマが面白いのは、やはり現実の政治を投影できるからだ。

現実的に政治家が直面している問題や、政局をそのままネタにできる。現実とドラマの相互作用で、すごく面白い展開だってありうる。ただし、柔軟なシナリオ構成力や、大胆なプロデュースが必要だから、昨今のサラリーマン化したテレビマンには無理かもしれない。

さらにもうひとつの「ラスト・フレンズ」

6月 30, 2008 on 10:15 am | In テレビ番組評 | No Comments

全話見て、総集編+αの「もうひとつのラスト・フレンズ」までいちおう見たのだが…。
どうも釈然としないものが 残っている。
(ドラマの説明まではしたくないので、フジテレビ公式サイトWikipediaを見てくれ)

それは、DVやストーカー被害といったものに対して、登場人物の対応がまったく間違っていること。
もちろん、ドラマとしては悲劇を描きたいのであって、そのためには社会的に正しい対応をとっていてはストーリーが成立しないということもあるだろう。
しかし、だからといって公的な支援制度や法律を無視してストーリーが進んでは、どうもおかしい。
いつの時代が舞台なんだ、ということになってしまう。

「もうひとつのラスト・フレンズ」と銘打った特別編がそのあたりの回答になっているのかと期待したが、単に後日談を加えただけの 総集編でがっかりしてしまった。

そこで「さらにもうひとつのラスト・フレンズ」を考えてみた。

美知留、瑠可、タケルが瑠美とともにシェアハウスで暮らし始めてから、2~3年後。
ミラノから帰国してきた小倉(オグリン)・エリ夫妻をまじえて、 楽しいひとときを過ごすのは放送された後日談と同じ。
それをプロローグとして、本編はミラノに戻る機中の小倉夫妻の会話ではじまる。

小倉「あの、自殺した美知留ちゃんの元彼…」
エリ「及川宗佑?」
小倉「そう…。彼を結局死に追いやったのは、僕たちの対応のせいもあるんじゃないか、とずっと気になってたんだ」
エリ「どうして? 悪かったのは彼自身じゃない」
小倉「そうなんだけど。僕たちが違った対応をしていたら、彼も死を選ばないですんだかもしれないと思うんだよ」

そして、ドラマのフラッシュバックがはじまる。

かいつまんで、美知留と宗佑の出会い、同棲までのいきさつ。美知留と瑠可との再会。
そして宗佑によるDVシーンが描かれる。
小倉「美知瑠ちゃんがDVの被害に遭っていることを知ったとき、僕たちは、シェアハウスの仲間たちの中だけで抱え込んでしまった」
エリ「それがいけなかったというの?」
小倉「そうだ。DVはいまや社会的な問題で、公的な支援制度もあるんだ」

このドラマにおける小倉の役回りについて考えてみる。
彼はシェアハウスの住人の中では最年長で、唯一の会社員でもある。個人的には離婚問題を抱え込んでおり、法律的な問題にも関心を持たざるをえない立場だ。
本来は、この問題に対して常識的な視点を持ち込むために作られたキャラクタではなかったのか、と想像する。でないと、彼の存在の意味がよくわからない。
(彼はオープニングシーンからも削られてしまっており、主要登場人物の中でも一番影の薄い人物になってしまっている)
しかしながら、ストーリーを練り込んでいくうちに、結局「常識的な視点」「社会的な対応」といったものが削られてしまい、それとともに彼の発言機会が失われてしまったのではなかろうか。

問題に対する正しい対応、ということを考えてみる。
瑠可はみずからの性別違和感症候群に対して専門医に相談している。これは正しい 対応だといえるだろう。
いっぽう美知留のDV被害については、誰も公的、法律的な対応を示唆していない。
当事者の美知留をはじめ、瑠可、タケル、エリなどはあまり新聞なども読んでそうではないし、公的な支援や法律について知らないかもしれない。
しかし小倉からそうした視点が出てこないというのは、その控えめな性格はともかくとしても、不自然だ。
このストーリーを成立させるために圧殺したというのであれば、「もうひとつの…」と題した特別編でならば表現できるのではないか?
本編終了直後に放送する特別編で、そうした「社会的に正しい対応」を示すというのも、社会の公器たるテレビ局の役割ではないのか?
(公式サイトにはそういうページがあるが、言い訳的なものにすぎない。テレビ局ならば番組で示すべきだろう)

「さらにもうひとつのラスト・フレンズ」続ける。
ドラマの回想と併行して、公的なDVに対する相談窓口の紹介や、各種の支援制度について紹介する。
もし美知留がこの時点で、こうしたところに相談していれば、ということを小倉は言う。

エリ「そうしていたら、よかったのかもしれないね。でも彼はあきらめなかったと思う」
小倉「だけど、彼が少なくともシェアハウスの仲間のことだけを敵だと思いこむようなことはなかったんじゃないかな」

ドラマの回想シーンは進んで、美知留はシェアハウスに暮らすようになる。
宗佑はそれをかぎつけて執拗につきまといはじめる。
小倉「この時点では、彼の行為はストーカー規制法に触れるんじゃないか?」
ストーカー規制法の存在や、どういった行為がその対象になるか、が説明される。
もし美知留が警察などに相談をしていたら、宗佑に対してどのような警告が発せられたか、さらに行為を続けるとどのような罰則が課せされるか。

エリ「それでも彼はつきまといをやめなかったと思うよ。美知留ちゃんは彼を罪にはしたくなかったんじゃないかな?」
小倉「けど、逮捕されたら、彼はまだ生きていたと思うよ」

ドラマの回想シーンはさらに進む。タケルが自分と美知留との関係を邪魔していると思いこんだ宗佑はタケルに暴行をはたらく。
小倉「少なくともここに至っては、彼は傷害事件を起こしているんだ。ちゃんと警察に被害届を出すべきだった」
エリ「だけど、目撃者もいないし、タケルの証言だけでは彼を有罪にはできなかったかもしれない」
小倉「それでもいいんだ。警察の取り調べを受ける中で、彼は自分の行為がどんなに卑劣だったか、気づく機会が与えられただろうから」

結局のところ私には、美知留へのDV被害がエスカレートしていったのは、美知留とシェアハウスの仲間たちが「プライベート」の中でそれを処理しようとしたから、としか見えない。 これを「ハブリック」な場に持ちだしていれば、宗佑も単純に瑠可はじめシェアハウスの住人たちだけを敵だと思いこんで、極端な行為に出ることはなかったのだろうと思う。

まあそれでは「ラスト・フレンズ」の物語が成立しない、というのであれば、特別編というかたちを借りてでもそういう視点から物語に切り込んでみるというのもよかったのではないか、と思う。

「情熱大陸/山口絵里子」をみた

3月 17, 2008 on 8:44 am | In テレビ番組評 | No Comments

情熱大陸という人物ドキュメント番組には、あまりいい印象を持っていなかった。

30分という枠で「何を描きたかったのか、何を伝えたかったのか」というのが明確でない回が多かったからだ。特に有名人をとりあげた回にその傾向が強かった。

今回とりあげた人物はバッグデザイナーの山口絵里子という26歳の女性である。まったく知らなかった人物だ。
「アジア最貧国」といわれるバングラディシュ在住で、バングラディシュの素材と職人で自分のデザインしたバッグを作り、それを日本の店で販売する、というビジネスをしている。

バングラディシュという国には日常的に痛い目にあっているようだ。仕事の進め方が遅い、約束をたがえるなどは日常茶飯事で、騙されたり盗まれたりしたこともある。しかし、デザイナーとして経営者として、笑顔を浮かべながらそれに対処していく彼女の姿が描かれる。

どこかで見た笑顔だ、と思った。実は同じ日の夕方に「誰も知らなかった高橋尚子」という番組を見ていた。高橋尚子の笑顔はあまりにも有名だ。表情は少し違うのだが、そこに共通するものを感じた。

高橋尚子のキーワードとして「あきらめなければ夢は叶う」という言葉が紹介されていた。これには強烈な違和感があった。一位でゴールを切ってこう言うのならわかるが、結果は惨敗だ。北京の代表にはなれなかった。夢は叶わなかったじゃないか…。ただ、高橋はどうやら、「夢」という言葉をちがった意味で言っていたようだ。五輪に出場して、メダルを穫るということ自体がもはや高橋の「夢」ではないらしい。それはもうすでに成し遂げたことだからか。自分から何かのメッセージを発し、それを受け取ってくれる人々がいる、という関係性の中に「夢」を見いだしているような気がする。

山口絵里子は、デザイナーとして自分の作品を世に問うことにも、経営者として事業を拡大していくことじたいにも、さほど夢を感じているようではない。それは彼女にとって手段でしかないようだ。目的は、バッグ生産という事業をバングラディシュに根付かせることで、貧しい人々に仕事を与え、生き甲斐を持たせていく、ということであるようだ。

番組中山口のパートナーであるバングラディシュ人が「日本や国際機関が無料で与える援助は、我々を乞食にするだけのことだ」と語っている。

バッグや事業だけではなく、国際関係も山口のデザインの中でつくりあげられていく。弱冠26歳の女性ながら、クリエーターであり、ビジネスウーマンであり、国際ビジネスのコーディネーターでさえある。それを気弱な笑顔を浮かべながら、自然体で乗り越えていくところに好感が持てる。すごい人だ、と思ってしまう。

番組のエンドで、スタッフが山口に「痛い目に遭いながらなぜ続けていくのか」と問いかける。返ってきた答えは、「あきらめたくなかったから」。高橋尚子と同じキーワードがここで出てきた。「あきらめなければ夢は叶う」だ。

なるほど。ふたりの笑顔に感じた共通性は、そういうことだったのか。

「医龍2」最終回をみた

12月 21, 2007 on 9:55 am | In テレビ番組評 | No Comments

フジテレビ系の連続ドラマ。まあ、本格派の医療現場ものといえるだろう。
普通はタブーである手術シーンの露骨な表現にも正面切って挑戦している。

「医龍」のファーストシーズンは見ていなかった。しかし、今回「医龍2」の放映開始に合わせて再放送があったので、録画して全部みた。

このシリーズは、最先端の心臓外科手術をテーマとしている。
主人公となるのが坂口憲二扮する朝田龍太郎。変わり者だが手術のスペシャリストで、誰にもできないほどのスピードで難易度の高い手術をこなす。
だけではなく、手術しながら新しい術式を考え出すほどの頭脳の持ち主で、しかも心臓を触診しただけで異常部位を見つけ出すほどの手先の感覚の持ち主だ。
まあ、ドラマだから若くしてこれほどの「ゴッドハンド」でも当然なのだろうが。

このシリーズのサブタイトルが「Team Medical Dragon」であるように、チームの大切さを根底に持たせたストーリー展開だ。
「医龍」がバチスタ手術というテーマのもとにチームが編成されるストーリー、「医龍2」は挫折や高慢を乗り越えてチームが再生していくストーリーといえるだろう。
しかし「医龍」は、主人公がブラックジャック並の天才であるが故に、結局「チームとは天才をサポートする存在」になってしまっているような気がした。
「医龍2」では、オリジナルストーリーということもあって、多少そのあたりチームメンバーの自己変革に焦点を当てたストーリーになっているが。

しかしまあ、なんとも演出過剰の続出だ。派手なME(効果音楽)の続出、登場人物の無意味な表情アップ、主人公の意味ありげな言葉や表情。
もう少しおとなしくしてくれたほうが、ストーリーに集中できると思った。

「ULTRASEVEN X」初回をみた

10月 7, 2007 on 2:16 pm | In テレビ番組評 | No Comments

大阪では、深夜3時台というとんでもない時間にオンエアされていた。
ウルトラセブン誕生40周年記念作品だという。

私は、ウルトラシリーズの中で初代ウルトラセブンが一番好きだが、それはもっぱら脚本の良さによっている。30分という短い時間の中で、いかに質の良いSFストーリーを展開するか、毎回知恵が込められていたと思う。

今回のこのシリーズは、ウルトラセブンがほぼ初代と同様の姿かたち(ややマッチョな感じはする)と能力で登場するが、どうやらその属する世界はまったく別もののようだ。 というより、初回を見ただけではこの世界がまったくわからない。現代でもなさそうだし、かといって未来的なところも希薄だ。一種のパラレルワールドなのだろうが、全貌はおろか、魅力的なところも見えない。

主人公(記憶喪失で、なぜ自分がウルトラセブンに変身するのかさえわからない) は「なぜか」初回の最後で自分がこの世界を守る(あるいは救う)ことを決意するのだ。しかし、わけのわからない世界をわけのわからない主人公が守るとか、救うとかというストーリーを見続けるテンションには私にはなれなかった。

たぶん、このシリーズはもう見ないと思う。

日テレの巨人優勝特番

10月 2, 2007 on 9:46 pm | In テレビ番組評 | No Comments

ついさっき巨人がセリーグ優勝を5年ぶりに決めた。
(誰だよ。今年は阪神の劇的逆転優勝だって言ったのは?)

日テレはそれを記念して、優勝特番を大々的に挿入…しなかった。

ドラマの開始をほんのちょっと遅らせて、わずか10分ほどの速報を入れただけ。
巨人の扱いも悪くなったもんだよなぁ…。

「必殺仕事人2007」をみた

7月 8, 2007 on 7:00 am | In テレビ番組評 | Comments Off

必殺シリーズとしては15年ぶりのテレビドラマだそうである。
wikipedia

藤田まこと演じる中村主水は相変わらず登場するが、他の主要登場人物はジャニーズ所属タレントを中心に一新、若返った感じがする。

かつての必殺シリーズは、「水戸黄門」同様に、パターン化された時代劇だった。シリーズものだから、キャラクターは固定されており、説明が不用だったということもあるだろう。
それに比べると、今回のスペシャルドラマは時間が長いせいもあってか、ややストーリーが複雑だ。登場人物が多すぎるのか、仕事人サイドの描写が多すぎるきらいがある。

どうも、昔の必殺シリーズのセルフパロディという感じが否めなかった。殺し技なども、複雑すぎるような気がする。必殺シリーズ独特の様式美を狙った意図はわかるのだが。

思えば必殺シリーズ初のオリジナルである「必殺仕置人」では、技も単純ならば、人間構図も複雑ではなかった。それでいて、必殺シリーズのすべての要素は揃っていたような気がする。そこから出発して、いろいろとこねくり回しすぎてしまった結果、どうしようもなくなって終結したのが実情だろう。

その点、原点に戻った「水戸黄門」がいまだに続いているのは好対照だという気がする。

TVチャンピオン「大工王選手権」をみた

6月 29, 2007 on 11:05 am | In テレビ番組評 | Comments Off

2時間スペシャルだが、なんだかパワーダウンしていたな…。

そもそも大工王を決めるという企画において、最初のほうのステージでは基礎技能でひとりずつ落としていく、ということに意味があるのだろうか?

ホゾ穴組はまだしも、釘の一発打ちに関しては番組中でも最ベテラン選手が言っていたように本来の作業では絶対にやらない技術であるから、これを持って大工の技能をはかるということはできないはず。

最終ステージも、過去の例でいくと、旅館の離れ座敷を立てるとか華々しい作例であったのに対して、今回は犬小屋だ。ま、世界遺産をイメージさせるというようなエクスキューズはついているものの…。
従来が三選手による競作であったのに対して、今回は二選手だし。

できれば、もう少し華々しい企画にしていただきたかったと思うのは私だけだろうか?

次のページ »

Powered by WordPress original design by Borja Fernandez. Arranged by M.Maekawa
Entries and comments feeds. Valid XHTML and CSS. ^Top^