映像文化を語ってみる

映像文化復権元年(1)

2010/12/12

数年前から「映像文化」ということを考えるようになった。
というか、この時代は映像文化の危機だと思うようになった。

ひとつには、一面すばらしいことだが、誰でも映像をつくることができるようになったということがある。

95年にDV方式のビデオカメラが発売されている。これは、民生用カメラであるにもかかわらず、画期的に画質がよかった。事実、この後商業映像、テレビ番組制作、自主映画制作など、さまざまな映像制作の分野でDV方式、およびその業務用形態(画質じたいは変わらない)であるDVCAM方式が幅広く利用されるようになっていく。

アナログからデジタルに変わった、という以上の変化がここにはあった。手軽に家電量販店で買えるビデオカメラが、放送できるクォリティの映像を記録することができるようになったのである。

それまで、映像業界はプロフェッショナルらしい大きな図体のビデオカメラの上にあぐらをかいてきた。「こんな素晴らしいカメラを使うんですからね」といって、料金を請求してきたのである。カメラマンの腕やキャリアや、センスといったものは一顧だにされなかった。単に、ビデオカメラのオペレーション人員として、人件費が計上されていただけだったのだ。

小さいカメラでも、使えるクォリティの映像を撮ることができる。これが、ひとつの転換点だったと思う。そのこと自体はすばらしいことだが、同時にこれが引き金のひとつとなった。

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