コンテンツ評論 テレビ番組評

「#わろてんか」をみた

ついつい、「朝ドラの女一代記風フォーマットは、いつまで有効なのだろうか?」と考えてしまうのだ。

本作も、吉本興業の祖ともいえる吉本せいの生涯をモチーフにしている。「笑い」を商売にして、明治から戦後までを生き抜いた女傑の物語、といっても史実の吉本せいとはかけ離れた、デフォルメというか、別物のストーリーになっていた。

もちろん、史実を下敷きにしていて、要所に史実をもとにしたエピソードが出てくるのだが、なぜか異様なかたちにデフォルメされている。

これは作者に上方演芸史への造詣がない、というか関心がないせいだろうか。たとえば、主人公てんが夫藤吉と一緒に寄席を起こした頃は芸の中心は落語だったが、その後漫才(当時の表記では万歳だが)が主流になってくる、というストーリーがある。これなど、当時の世相などを絡めて、なぜそうなっていったかを描いたら興味深い物語になったのだろうが、そうではなくレギュラー登場人物の対立エピソードになっていた。

エンタツアチャコをモデルにしたキース&アサリという漫才コンビが出てくるが、彼らは漫才をはじめた当時はどつき漫才で、後にしゃべくり漫才に転じるというストーリーになっている。その後音曲漫才のミス・リリコ&シローが出てくる。

私は決して演芸史に詳しいわけではないが、漫才(万歳)といえば最初は音曲漫才であり、そこからしゃべくり漫才が生まれて、後にそこからひとつのバリエーションとしてどつき漫才が生まれてくる、といった程度の知識はある。実際、私の子どもの頃といえばまだまだ音曲漫才がけっこう主流だった。

そうした歴史をどうして逆転させてしまうのだろう? 上方の笑芸を扱った朝ドラといえば「ちりとてちん」が思い浮かぶが、上方落語に対する愛と造詣に溢れていた。対象に対する愛が感じられない一代記風朝ドラといえば、「べっぴんさん」や「とと姉ちゃん」もそうだった。主人公が取り組む仕事の内容や歴史にもっと踏み込んでいけば面白くなったのに、と残念でならない。

ただ、いつものように俳優陣とくに女優陣はいい仕事をしている。主役の葵わかなも十分に頑張ったといえるが、やはりその点はリリコ役の広瀬アリスに注目してしまう。この物語、リリコのほうを主人公にして描かれたら、もっと面白かったのではないだろうか?

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