コンテンツ評論 テレビ番組評

「民衆の敵~世の中おかしくないですか?~」をみた

政治というのはもっとドラマに取り上げられてもいい題材のはずだ。だってワイドショーであれだけ政治ネタを扱う時代なんだから。今年だって、小池騒動やモリカケ問題でどれだけ騒いだか。

主人公佐藤智子(篠原涼子)が一児の母で、主婦の立場から市議選に立候補する。そこまではいい。

立候補の目的が失業して950万円ともいわれる年収を得るため、というのもまあ許そう。

しかし、主人公に政治に向き合うきっかけが(立候補前には)何もなく、しかも一般常識のないおバカキャラであるというのはどうなんだろう。(このさい中卒は関係ない。学歴に関係なく、政治に関心を持つ人はいる)

そういう人物が「みんな幸せになろうよ」という漠然としたフレーズで立候補して、当選しちゃうというのもまぁ有権者をバカにした話しだ。当選してからは人が変わったように熱心になって、いろいろと活動をはじめるというのも解せない。

もっと一般市民の目線でいいのじゃないか? そこそこ政治に興味もあって、一般常識も持ってる主婦が、何か我が町をよくするためというキッカケをもって立候補して市議になる。それで何がいけなかったのだろう?

古田新太演じる、いかにもわかりやすい悪党の市議が登場するのももひとつ。実際の悪党はいかにも善人ぶっているはず。

主人公も、後半になると「みんなの幸せを実現するのだ」とか言って、市長にまでなってしまう。冒頭とはまったく別人のようで、アンタそんな熱意もって出馬してないじゃないか、と言いたくなる。

最終話に、高橋一生演じる藤堂(同期の市議、のちに副市長)との議論があって、「みんなのためにひとりを犠牲にしていいのか」と理想論を振りかざす主人公に対して、藤堂は「最小限の犠牲で最大限の幸福を追求するのが政治だ」と現実論で立ち向かう。ここが焦点であるならば、これをなぜ物語の序盤に持ってこないのだろう。政治ドラマは、つまりは理想論と現実論の確執であるはずなのに。

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