コンテンツ評論 テレビ番組評

「#ひよっこ」総括

2017/10/01

「ひよっこ」が終わった。

朝ドラとしても何か独特なところを感じた作品だった。
だから「ひよっこ」の何が独特なのか、感じたままに書こうと思う。

まず全体的な造りとして「悪人、嫌な人、主人公と対立する人」がまったく出てこない物語だということがいえる。

「悪人」という点では、みね子の父実から金を奪った強盗犯が出てくる。この人物の背景はまったく描かれていないので、悪人だともいえなくはないが、伝聞の中で登場するだけでみね子にはまったく関わってこない。

「嫌な人」という意味では、主人公を嫌ったり、辛い仕打ちをするような登場人物がいない。癖の強い登場人物が多いので、初登場の時には「えっ」と思うようなこともあるのだが、親しんでいくにつれてそれぞれ愛すべき人であることがわかる仕組みになっている。

「主人公と対立する人」については、次に書こうと思っていることとも関連するのだが、主人公のライバルすら出てこない。ドラマを盛り上げる安易な方法としては対立する人物を出すことなのだから、これはかなり思い切ったことだ。

この結果として「ひよっこ」はとても優しい物語になった。愛すべき登場人物たちが何やかやとワイワイガヤガヤやっている印象が強い。これは朝ドラという枠の特性もあるだろう。朝から嫌な思いをさせたくない、という配慮である。

もうひとつの独特さとして、みね子が「何かをめざそうとしている人」「何かをしようとしている人」ではなかったということがある。朝ドラの主人公にはたいてい人生の目標がある。あるいは強い行動原理がある。(これはそういう人物をとりあげるという朝ドラの通例にも関係があるが)

それに対してみね子は「何かになろうと考えていない」「何かをしようとしていない」主人公だった。普通に働き、普通に人生を楽しみ、普通に恋愛をしたりはするが、自分の将来について語ったことはひとつもない。ドラマ中で語られた目標は「すずふり亭の全メニューを自分で稼いだ金で食べる」というのが唯一だ。

ライバルがいない、というのもそもそもみね子が何かめざしているわけではないからだ。

ごく普通の市井の人を描いている、という点では朝ドラとしては珍しいタイプの主人公だといえる。

愛すべき「普通の女の子」みね子が、愛すべき登場人物に囲まれて幸せに「普通の生活」を営んでいく、という物語をそれなり毎日見られるものに仕上げていくというのは、なかなか難しいことだ。

もちろん、みね子の背後には父実の失踪→記憶喪失になっての復帰というドラマチックな出来事も存在する。しかし、「ひよっこ」の物語全体からすると、その出来事もスパイスでしかなかった、という気がする。

 

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