コンテンツ評論 テレビ番組評

「#ゆとりですがなにか」をみた

2016/06/21

yutoridesugananikaクドカンこと宮藤官九郎脚本の連続ドラマ。クドカンというとコメディの印象が強いが、今回のこれはコメディ要素はちりばめられているものの、純コメディではない。クドカンは「自分としてはじめての社会派ドラマ」と言っているようだが、それもちょっと違うような気がしている。

「ゆとり」とはいゆわる「ゆとり世代」を指している。かといってこれは世代論ドラマだろうか?

たしかに前半、主人公たちを含む「ゆとり第一世代」と、彼らの後輩に当たる「ゆとりモンスター」との対比が描かれたりして、世代論的な側面をみせていた。

しかし、ストーリーが進むにつれて、そうした世代的特徴といったものは、ひとりひとりの個性の中に埋没していく。

「ゆとりなんて一括りにされたくないよ」という言葉が出てくるのだが、結局世代対立というものは有史以来繰り返されてきたものなのだ。

正直、あまりゆとり世代との接触がないせいか、私にはあまりそのあたりの世代イメージがわかない。

食品会社サラリーマンの坂間(岡田将生)、小学校教師の山路(松坂桃李)、ポン引きの道上(柳楽優弥)の3人の「ゆとり第一世代」が主役グループになるが、彼らをはじめとするさまざまな人々がカッコ悪くも悩み、ドタバタ暴れ、その中でちょっとだけ人生を先に進めていく群像劇だ。クドカンもちょっとだけ新境地を開いたのかな?

特筆すべきはヒロイン的ポジションに置かれた安藤さくらの好演だろう。登場したときは「出来るキャリアウーマン」のイメージながら、彼女も男たちにひけをとらないほど悩み、カッコ悪くあばれる。なかなか、他の女優ではこういう演技はしてもらえなかったのではないだろうか?

 

 

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