コンテンツ評論 テレビ番組評

朝ドラ「#まれ」総括

136478「まれ」について書く最後の機会である。

正直「まれ」は秀作とは言い難かった。久しぶりの現代もの朝ドラとして期待もしたし、キャスティングをみても悪くはない。面白くなる要素は多かったように思う。

しかし、実際にはストーリーは雑で、主人公はじめ登場人物の行動や言葉は納得できないことが多かったし、つじつまが合わないこともかなりあった。

それでも「まれ」を見続けていたのは、Twitterでツッコミを入れる楽しさがあったからかもしれない。

「まれ」を総括すると、現代もの朝ドラのフォーマットをかなり意識した作品だったと思う。
特に「ちりとてちん」と「あまちゃん」の要素はかなり散見される。

「ちりとてちん」との相似は、まずもって主人公を取り巻く同級生女子ふたりの構造にみられる。
「ちりとてちん」の主人公和田喜代美(ビーコ、徒然亭若狭)と高校の同級生の和田清海(エーコ)、野口順子は、全編に登場する。

「まれ」と照らし合わせてみると、エーコは一子であり、順子はみのりである。
エーコと一子は、芸能界をめざすところ、後に主人公と結婚する相手といち早く恋愛関係を結ぶところ、後半で主人公と対立するところなど、共通性が多い。
いっぽう順子とみのりは、基本的に故郷に定住して、主人公のよきアドバイザーとなることで共通する。

もうひとつ、「まれ」が「ちりとてちん」を意識しているだろうところとして、主人公が「私は夢が嫌いです」と宣言するところがある。
「ちりとてちん」の主人公は普通の朝ドラヒロインとは違ってネガティブ、後ろ向きな性格であり、要所で尻込みしたり、悪い想像をしたりするという癖があった。
希が「夢嫌い」の属性を与えられたのは、このネガティブヒロインを意識していたのではないか?

もっとも性格付けは「ちりとてちん」のように一貫しておらず、希はすぐ夢を追いかけてパティシエへの道を選ぶのだが。

「あまちゃん」との相似は、主人公を東京からの移住者に設定したところである。
「あまちゃん」の場合は、「故郷」そのものがテーマともいえる物語だったため、主人公が故郷を発見し好きになるプロセスが必要だった。そのため、移住者という設定は大変受け入れやすかった。

「まれ」の第一週では、希が能登弁を学習するくだりがある。これはむしろ、閉鎖的なコミュニティに入っていくための通過儀式のように写った。
能登のロケシーンはふんだんに見られたものの、希が能登を愛するようになったくだりはむしろ省略されたように思う。(小学生から高校生に時間ジャンプした部分にそれがあったのだろう)

「まれ」では「土の者(人)、風の者(人)」という言葉が何回か出てきた。最初は希と一子のやりとりで、一子は希を「風のもん」と呼び「風のもんには土のもんの気持ちはわからん」と言い放つ。風の者とは移住者、風来坊といった意味だろうか? 土の者とは定住者を指すのだろう。しかし、発言者の一子もやがて能登を出て、大阪、そして東京へと旅だっていくのに際して、自身が風の者になったという言葉は吐かなかったため、この概念もうやむやになっている。(後に藍子が「土の人になりたい」と発言したり、最終回近くで希と一子がこの言葉を蒸し返すシーンもあったが)

希自身が能登をどう考えているのか、横浜編あたりを思い返してみても、「能登はみんな家族みたい」といった言葉くらいしか思い浮かばない。故郷をテーマとしてとらえるには希薄だった。

「まれ」は、「純と愛」のように「朝ドラをぶちこわす」といった意識ではなく、「朝ドラを少しずらす」といった意識で作られた物語ではなかろうかと考える。登場してくる要素、物語の進行はだいたい朝ドラフォーマットにのっとっていながら、ビシッと決まるカタルシスを避けた「寸止め」の物語。

「梅ちゃん先生」のようにほのぼのとした感じのぬるま湯物語でもなく、「ごちそうさん」にみられた苛烈な部分もない。戦争や震災もなく人も死なない。普通の朝ドラは十分に意識しながら「ちょっと違う」というところを狙ったのではないか、というのが私の見方である。もっとも、脚本家にその狙いを十分に昇華するだけの力量は欠けていたように思う。結果的に中途半端さばかりが目立ったのではないだろうか。

かくもオリジナルストーリーの朝ドラ、特に現代ものは難しい。しかし、懲りずにまた新しい作者を得て、現代ものオリジナルストーリーに挑戦してほしいと思う。名作はきっと生まれるはず。

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