コンテンツの育て方 コンテンツ文化論 映像文化を語ってみる

オリジナリティとはなんだ?

tokyo2020気になった記事。デザイン業界の暗部 (BLOGOS)
例の東京オリンピックエンブレム問題について。筆者もまたデザイナーのようだ。

デザインでオリジナリティを表現することは、けっこう難しい。デザインの構成要素がシンプルになるほど、発想が似てしまうことは避けられないからだ。
(…)コピペで楽をしてしまうと、泥沼にはまってしまって、抜けられなくなる。
そこが「仕事に対する姿勢」であり、竹井氏のいう「仕事へのリスペクト」だろう。

(…)今回の問題は、デザイン業界全体、有名・無名を問わずデザイナーと呼ばれる人たちみんなに投げかけられた「問い」だ。

「あなたは、オリジナリティを追求していますか?」

私はそもそもデザイナーではないのでこういう形でのコピペをやることはないのだが、とにかく「何がオリジナルだろう」ということは常に考えているつもりだ。

VPとかの仕事の場合、オリジナリティを求められることも多いが、反対にまったく求められないことも多い。
あるものを普通に撮って、普通につないで、普通に仕上げればそれでOKという依頼も多い。

あえて必要とはされないのかもしれないが、それでも私は「何か私ならではのオリジナリティを入れられる箇所はないか?」といつも考えてしまう。

作り手が自分なりのオリジナリティを発揮せずに作られたものは、すべてくすんだものになってしまう、と思っているからだ。
つまりそれは対象に対する愛とか熱意がないということと同じだからだ。
当たり前のものの見方、当たり前の処理の仕方で作られたものは、どうテクニックを発揮してもつまらない。

昔、他者が作ったVPのシナリオ、たまたま大学の入学案内のものだったが、見せてもらったことがあった。
一読、既視感に襲われた。最初にイメージのキャンパスシーンがあり、中盤にカリキュラムの紹介があり、エンド近くに就職先や卒業生のコメントがある。そんな構成だった。

なんのことはない。大学案内のパンフレットの構成そのものだ。大学のパンフを読みながら、1ページ1ページ当ててシナリオを書いていったのだろう。
そこには映像というメディアの特性に対する理解もない、何がこの大学の特徴かという視点もない、普通に仕事をした形跡が残っているだけだった。

こういうのはコピペとは言わないのかもしれないが、構成者の立場から言うと立派なコピペである。内容はそのままに形式を入れ替えただけだ。

こういう仕事はしたくない。何か自分なりの視点だったり、他の制作者が使わない手法だったり、表現のアイデアだったりを入れようとあがく。
それが自分の「オリジナリティ」だと信じている。

くだらないプライドだと笑わば笑え。

-コンテンツの育て方, コンテンツ文化論, 映像文化を語ってみる
-,