コンテンツ評論 テレビ番組評

「#あまちゃん と共有感」

20130410_nounen_38
「あまちゃん」が最終回を迎えてから、ずっと「あまちゃん」のことを考えている。
正確に言えば、「あまちゃん」が私たちにもたらした影響のことを考えている。

「あまちゃん」がこれほどまでに「受けた」理由のひとつとして、「共有感」というものがあるのではないか、と思っていたりする。

朝ドラというのは、夜のドラマなどに比べて「共有感」の出やすい枠だという気がする。
というのは、夜に比べて生活のリズムが安定していて、毎日放映されるので毎日これを見てから行動を起こす、という人が多いから。
だから、朝ドラの話題だと、ふだんテレビの話題に乗ってこない人でも話題が共有できることが多い気がする。

それに加えて「あまちゃん」の場合は、ネットでの「共有」ということも話題になった。

私たち「あまちゃん」の視聴者は何を「共有」したのか?それを挙げてみることにしたい。

■ヒロインを共有した
「あまちゃん」がヒットした原因のひとつに、ヒロイン天野アキを演じた能年玲奈の魅力は欠かすことができない。
とにかく能年玲奈に関して、悪い評価をあまり聞かない。「可愛い」「透明感がある」など、ほめ言葉はあふれている。

私が朝ドラを視聴し始めたのは「カーネーション」以来だが、そこからのヒロイン役はそれぞれ芸歴がそれなりにある女優ばかりだった。
だが、能年は、たしかに月9や日曜劇場にレギュラー出演した経験はあるが、これといった主演歴を持たない。つまり「何者でもない」ヒロインだった。

従って、視聴者の中でストレートに「能年玲奈=天野アキ」が成立したのが、共有できた最大の理由だったと思う。

■舞台を共有した
「あまちゃん」は田舎を舞台としたドラマとしてひとつの金字塔になったという気がする。
北三陸市は架空の町にすぎないが、その土地とそこに暮らす人々が、視聴者にとってある種「仮想故郷」になる効果を持ったと思う。

地方出身者も都会者も、故郷に暮らす人も都会に暮らす人も、そこに話題の「共有点」を見いだすことができた。つまり「あまちゃん」という「同郷者」ができた。

「北三陸では…」と話し出すと、そこがまるで自分の故郷であるかのように話題に入っていける。そういう意味で、北三陸は「国民の故郷」になりえたのではないかと思う。

■言葉を共有した
流行語となった「じぇじぇじぇ」はもちろんだが、「あまちゃん」には名言が数多く存在する。

「わかる奴だけわかればいい」
「場所ではなくて人だと思う」
「あんたじゃなくて周りが変わったんだよ」
「ダサいくらいなんだよ。我慢しろよ」
こうした言葉は、実生活の上で使用できる言葉であることが大きい。

「倍返しだ」というような決め台詞ほどクサくなく、さりげなく使うだけで「あまちゃん見てますね」という話題の共通性も醸し出す。
こうした言葉を共有したことは大きいと思う。

…と、書いてきたのだが、当面このブログでは「あまちゃん」関係の話題はこれで封印することにする。
書けばいくらでも書けるのだが、さすがに終了後2週間を経て、あまりこの話題ばかりというのもどうかと思った。

「あまちゃん」のシナリオ集が出版されるというので、予約を入れてある。
12月初頭には届くようだが、これが届いたら、録画とシナリオを対照しながら、もう一度「あまちゃん」の話題を掘り起こしてみる予定である。

-コンテンツ評論, テレビ番組評
-, , ,