コンテンツ文化論 映像表現の研究

「#あまちゃん」 に学ぶ、見せない決断

またしても、あまちゃん絡みで申し訳ないが、9/2放送のあまちゃんは、東日本大震災の当日を描いていた。

見てない方には、とりあえず下記のまとめをおすすめする。

NAVERまとめ「クドカンは震災をジオラマで描いた。みんなの感想は? #あまちゃん #夜あま #NHK

気になった記事。

「あまちゃん」が描いた3・11 その見事さと対照的なテレビ報道の貧弱さ(水島宏明) - Yahoo!ニュース

津波が押し寄せるテレビを東京で見ているアキたち。しかし、そのテレビで流されているはずの実際の津波映像を見せることはない。つまりニュース映像をいっさい使わなかった。

津波については、リアルな映像を使う代わりに、家々や地域の模型の上に、青いガラス片を撒いて表現した。

人々の表情と鉄道や地形の再現模型のイメージショットだけで、3・11を表現した見事な演出だった。

東日本大震災は現在進行形の災害で、人々の心の中にその災禍は生々しく残っている。

震災前、次週予告を見ただけでも、震災をどのように取り扱うのか、Twitter上の #あまちゃんタグは揺れた。
震災で実際被災したり、恐怖や不安を感じた人々の中には、このドラマの中でどのように震災が取り扱われるのか、恐ろしさを感じた人が多くいたように思う。

本物の映像でも、何度も見せられることで視聴する側に逆にリアルさが薄れてしまい、表現として薄っぺらく受け止めてしまう。また何度見ている映像でも実際に津波を体験したり、津波映像がトラウマになってしまった人にとっては当時の映像を見るのはつらい体験だという問題もある。

そうした本物のニュース映像をいっさい使わず、しかし、視聴者にあの日の恐ろしさを思い起こさせた「あまちゃん」。

名手・宮藤官九郎の脚本とNHKスタッフの演出。その表現の見事さは本当に歴史に残るものだった。

筆者の感想は、私のそれとほぼ重なるものでもある。

あまちゃんの制作はNHK。報道映像を使おうと思えば、豊富にある。しかし、ドラマに本当に必要な映像は何か、表現としての震災はどうあるべきか、を相当に考え抜かれた決断だったと思う。

とにかく「見せる」ことをしたがるのが映像メディアであるが、見せないという決断はすごい。

ただ、これは東日本大震災がわずか2年半前の災害で、視聴者の脳裏に生々しい映像が残っているから故のことだ、とも覚えておきたい。
また、これだけの表現にとどめていてもなお、震災の記憶を蘇らせて苦しい思いをした視聴者がいることも。

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