ネットとコンテンツの関係論

テレビとネットの融合とは…

2011/01/07

TBS・楽天問題に思う、の続きである。

この週末、いろいろな人がテレビ番組に寄せたコメントの中で「将来的には、テレビとネットは境目がなくなり、ひとつのものとなるであろう…」というのがあった。(悪い。誰のコメントだかは忘れた)これについて考えてみたい。

テレビとは、大資本・中央集権・専門家型のメディアであり、もちろん映像メディアである。

テレビのコンテンツといえば、局が主導をとって制作された番組、あるいは映画などすでにパッケージされたコンテンツのリユース、スポーツなどどこかで行われているイベントの中継、などである。

これに対して、インターネットは、まったく逆のメディアであると言えないか。

インターネット(とくにWeb)の新鮮さは、その情報発信の敷居の低さであった。企業であれ、個人であれ、そこではまったく同等に扱われる。個人がほとんど資本なしに大企業以上の情報発信をやってのけることが可能だ。

このことは、Blogの定着がさらに拍車をかけているといえる。Livedoor Blogのような無料のBlogサービスを利用することで、資本なし、スキルなしの個人が全世界に向かって情報発信ができるようになった。

ただし、文字・静止画ベースの場合である。インターネット上での映像配信サービスは(少なくとも日本では)まだ大きな成果を上げるに至ってはいないと私は認識している。特に個人発信の場合は、ほとんどそうだ。

テレビとインターネット、このまったく正反対の性質を持ったメディアが融合するのか。するとすれば、それはどんな形のものになるのか。

テレビ受像機がインターネットにつながる。もちろん、それは文字・静止画情報を表示するためではなく、映像情報を表示するためでなくてはならない。

三木谷氏はたしかテレビ番組で「水戸黄門を見ていて、過去の水戸黄門を見たいと思ったら、すぐに見られるようになる」とか言っている。だが、リアルタイムではないにせよ、livedoor ぽすれんなどでDVDをレンタルすれば同じようなことが今でもできる

同じく「今週の水戸黄門を見忘れた、という時に200円払うとそれが見られる」とも言っていた。HDDレコーダーとか、テレビ自体がそうした録画機能を備
えようとしている時代だ。テレビに「水戸黄門」というキーワードを覚えさせておくだけで、見忘れた番組も録画しておいてくれるのだ。それもタダで。


インターネットとテレビの融合とは、こんなレベルのことではないはずだ。

たとえば、映像を使った個人的発信が今のBlogのレベルで可能になり、それがテレビで自由に見られるようになる、という可能性はないのか。

ただし、Blogと違って映像コンテンツ制作には費用がかかり、また時間もとるから、優良な映像コンテンツにはペイバックがあるようなシステムの構築も必要だろう。

いわば資本なしで映像コンテンツの制作・発表が可能になり、それが支持を得ればそれで生計をたてたり、また次のコンテンツの制作にかける費用を得たりできるシステムである。

これが実現すれば、テレビはインターネットと融合することで、従来とは反対の性質を持つコンテンツ供給源を得ることができるようになる。
さらに、日本社会全体の映像コンテンツ生産力を底上げすることにはならないか。

インターネットとテレビの融合については、また考えてみたい。

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