映像表現の研究

映像"詩"は可能か?

2011/01/05

テレビでニュースの時間に「映像詩です」という前置きで1コーナー放映された。内容は、紅葉をモチーフにした美しい映像と、詩的なナレーションで構成された秋の京都探訪記のようなものだった。

制作者には悪いが私にはその映像が「映像詩」には見えなかったのである。詩的なのはナレーションだけで、映像は美しくはあったが詩的ではなかった

某放送協会を中心に、時々「映像詩」と称する映像作品が放映されることはあるが、だいたいこの手の作品である。

だいたい映像はきわめて散文的なものだと思う。
絵画的な意味で美しくはとらえられても、それは詩的というのとはまた違う魅力である。(だといっても「映像絵画です」という作品は滅多とないが)
映像はいわゆる言葉ではないので、これを詩的に構成することはきわめて難しい。

では、映像で詩を作るのは不可能か、というと私にはそうとも言い切れない。極めて難易度は高いが、不可能ではないと思われるのだ。

ただ、世に言う「映像詩」とはまったく違うものになるような気がする。
それは、映像を一種の「言葉」として切り取る必要があるからだ。

映像をひとつの「言葉」として扱い、それで詩的な構成を形作るのは不可能ではないだろうと、ただ直感される。

私がイメージしたのは、漢詩の五言絶句のような、制約された短い形式の中に、言葉としてのイメージを持つ映像を持ち込んで構成する作品。

もちろん映像そのものが詩的であるためには、ナレーションも、語り的な字幕も排除すべきである。

うーん。イメージはあるんだが、具体的な構成が浮かんでこない。
私が詩的なニンゲンではないせいか…。(笑)
でも一度試してみたい表現ではある。

-映像表現の研究
-