映像文化を語ってみる

「混迷を深めるNHK改革の動き」に反論する

2011/01/05

メディアコンサルタントの西正氏が、ITmedia+D LifeStyleに「混迷を深めるNHK改革の動き」と題する文章を寄せている。

2005年12月6日、規制改革・民間開放推進会議の宮内議長から提案された受信料を支払わないとNHKの番組が視聴できなくなるスクランブル化の導入をとりあげ、政府の拙速なNHK改革を批判し、「NHK改革」と「放送と通信の融合」は次元の異なるものだから、一緒にしないほうがよいという提言である。

ここで、この本論の趣旨に反論する気は私にはない。
私はNHK改革推進賛成派であるが、まあ大して期待もしていない。

 議論の火付け役となった規制改革・民間開放推進会議の考え方からは、より直接的にNHKを縮小均衡させようとの意図がうかがえてならない。

その規模縮小が取り返しのつかない事態を招くのではないかと、西氏は危惧する。

さて私が反論したいのは、コラムの中の次の一文である。

 IT企業による放送局の買収問題が続くのも、放送局の制作するコンテンツに魅力があることの裏返しである。規模を縮小させていけば、いずれ良質なコンテンツは生み出し得ない状況に陥ることになりかねない。

良質のコンテンツ」という言葉で西氏が考えているのが何かは知らない。

だが、上記の一文が申し立てていることは「コンテンツを作り出す企業体はある程度の規模を持たないと良質なコンテンツを生み出すことができない」ということだ。

そんなことはない。

放送局が放映しているコンテンツは誰が作っているのか。
映像作品だから、これは三段階に分けて考える必要がある

まず第一は、コンテンツの骨である企画・構成の部分である。
放送局はこの部分では多くを外部の能力に頼っている

たとえばドラマであれば脚本家であり、バラエティや情報番組であれば放送作家である。こうしたスタッフはほぼフリーランスや外部の企画会社に所属している外部ブレーンだ。NHKを含めて、放送局が内部で脚本が書けるスタッフを育成しているという話は近年まったく聞いたことがない。

第二は、制作の分野である。
良質な映像・音響を作り上げる職人的な部分だ。
NHKは比較的こうしたスタッフを内部で抱えているほうかも知れない。しかし、民放は外部の制作会社に頼りきっているのが常だ。
基本的には放送局にはプロデューサーがいればいいのであって、アウトソーシングの傾向にあるのは間違いない。

何より、こうした職人芸的な分野では、大きな企業体の中にいる人よりも、フリーランスや小規模な外部の会社に属している人のほうが腕が良いのは常識である。

そうすると、あとは第三の分野だ。これは要するにカネである。
良質な映像作品を制作するにはカネがいる。
カネを出すのには、営業部(NHKなら集金係)と経理部があればいいのであって、たいした企業規模を持たなくても多額の資金を動かすことはできる

たしかに、現在のNHKのように湯水のように制作費を使うということはできなくなるかも知れない。

NHKでも仕事をするスタッフから聞いたところによると、NHKの仕事ぶりは民放の切り詰めた予算とは次元が違うものだ(あるいは、だった)という。それもどちらかというと、無計画というか、野放図に好き勝手にカネを消費していくような使いっぷりだったそうだ。

たしかに良質なコンテンツを作るにはカネがいるが、カネをかければ良質なコンテンツになるかというと、そんなことはない

要するに、熱意を持った能力のある人材と、適切な予算をつけてやれば、良質なコンテンツはできる。製作元の企業規模に別に影響はされない。

さらに言えば、放送するコンテンツだからといって、製作元が放送局である必要なんか、これっぽっちもない。

何より、放送局がそのような人材を育成しているかというと、これはまったくそんなことはない。
出来てきたところから刈り取るのが放送局のやり方で、基本においてIT企業となんら本質的には変わらない。

じゃあ誰がコンテンツ・クリエーターを育てているのか? 

それはクリエーター自身が自分で自分を育てていくしかない現状だ。

日本に欠けているのは、将来を見据えて、良質なコンテンツを生み出すことのできる人材を作り出そうというビジョンと体制である。すでに、放送のほとんどは既存のアイデアの安易な焼き直しで埋め尽くされている。

このままでは、日本のコンテンツ生産力は先細りするしかないだろう。
一方で、コンテンツを流すチャンネルは飛躍的に増えていく。
再利用、焼き直し、リメイクばかりがどんどん横行して、放送というものの魅力は失せていくだろう。

そうなる前に、早く手を打たないとだめだと思う。

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