平成徒然草

贅沢とか文化について他人に決められるはずがないということ

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気になった記事。

あえてもう一度問おう、生活保護受給者がギャンブルをする是非(木曽崇) - BLOGOS(ブロゴス)

愚行権とは、たとえ第三者、もしくは社会的に見て「愚かしい」と思われるような行為であっても、それが他者の権利侵害にあたらない限りにおいては、国民の基本的人権の一環として認められるべきであるという論。(…)

それこそ生活保護受給者が家庭でいつもよりもちょっと豪華な肉でステーキひとつ食べるのでも、人によっては「愚かしい行為」となるでしょう。その範囲をどこまで広げるべきなのかorべきでないのか?という論議は非常に難しいのですよ。

これで思い出したのが、日本国憲法25条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という文言。

健康というのは、イメージしやすい。しかし「文化的」な生活って何だろう? これを一概に決めることは難しい。

人によってはこれは少年ジャンプの新刊を毎週読めるということかもしれない。
人によっては特定の著者の全集を手元に置くことかもしれない。
人によってはテレビが毎日見られることかもしれない。
人によっては特定のアーチストの音楽を聴きたくなったときに聴けることかもしれない。

インターネットに触れたこともない世代の人にとってはインターネットは文化的な最低限度には入らないだろう。
しかし、生まれてからずっとネットにつながって生活してきた世代の人にはインターネットにつながることは文化的な最低限度なのかもしれない。

要は「文化的な」生活について、国やお役所から一方的に「これが最低限度である」と決められてしまうことは、大問題であるということだ。

ならばこのギャンブルをするという「贅沢」も同じなのではないだろうか?
一生懸命働いて得た収入よりも生活保護で受け取る金額のほうが高い、という不均衡はさておいて、生活保護の受給者が食費を節約して貯めた金をギャンブルにつぎこむことまで否定すべきではないのではないか。

文化もギャンブルを含めた遊びも、ギリギリの生活の中からは生まれてこない。いわば、わずかであっても「余分」があるから生まれてくるのだ。
文化はよくて、遊びはいけない、ということも、他人が決めるべきではないのではないかな。

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