コンテンツ文化論 ネットとコンテンツの関係論

ものづくり、が変わってきている

気になった記事。

「日本の家電」に未来がない理由―佐々木俊尚(ITジャーナリスト) (1/2)(月刊誌『Voice』) - BLOGOS(ブロゴス)

「製造業」の定義が急速に変化している

という書き出しである。

そして、Amazon、Google、MicrosoftといったECや検索、OSの巨大企業がここに来て急に、自社でタブレット製品を「製造」するに至った理由を解説する。

彼らはタブレットやスマートフォン、電書(電子書籍)リーダーなどのハードウェア製品を、自社の「ネットワーク」の一部を構成する「歯車」だと考えているのだ。

ネットワーク、商品(コンテンツ)、そして端末(タブレット・スマホ等)が揃ってこそ、ビジネスが完結する。
そのために独自の端末を用意しているのであって、旧来的な「ものづくり」の観点からこうしたハードウェアを製造する決断をしたわけではない、という指摘である。

そのうえで、筆者は日本企業の失敗例としてテレビをとりあげる。

だが3D化などコンテンツがそう簡単に揃うはずもなく、あっという間に失速してしまった。

この失速でさすがに目覚めるかと思いきや、今度はハイビジョンをさらに高画質にした2K4Kという新しい規格に力を入れるようになっている。ハイビジョンでさえもまだ普及しきっていないのに、さらにその先の超高画質を求める消費者がどのぐらいいるというのだろうか。

テレビとは何かと考えてみると、おおかたのヒトは「テレビ局が放送するコンテンツの受信装置」と答えるのではないか。そうした見方から変えていかなければいけなかった、ということだ。

立体映像、超高画質化などは、「ものづくり」の観点からすれば、テレビという商品の高付加価値化である。
だが、今や「もの」としてのテレビは、衰退商品以外の何ものでもなかったのだ。
それは「テレビ局→テレビ」という一対一対応では、もはや価値を持たなくなっているからだ。
世界に先駆けて、ビデオデッキという「テレビにつなぐ装置」を開発した日本の家電メーカーは、それを理解していなければならなかった。

折から、シャープでは大規模なリストラが敢行されようとしている。
「ものづくり」としては、高品質な液晶ディスプレイを強みとした、優秀なメーカーだった。

もはや、日本の「製造業」には逃げ道は残されていないのかもしれませんなぁ。

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