映像文化を語ってみる

「映像文化」ってなんだろう…

2011/01/04

最近、自分の中で「映像文化」というキーワードが大きくなっている。

映像文化というと、どんなことを思い浮かべるだろうか。たとえばクロサワなどの名作映画をとりあげて、その表現について研究するとか…。そう、たしかにそれも映像文化のひとつだ。

だが、私の頭の中にあるのは、そういうすばらしい名作の世界にかかわるものではない。私たちの身の回りにある、いや氾濫する映像にかかわる文化だ。

現代は映像の時代といってもよい。

テレビはもちろんだし、DVDなどのデバイスで供給される映像もある。PCを使って上映されたり、ネットを通じて配布や販売される映像もある。いまや簡単に作れるようになったCGだって映像のひとつだ。家庭にあるビデオカメラを使って撮影される映像もあるし、街を歩いていても映像は目に入る。

それなのに、映像文化というと、ごく一部の名作映画だけをとりあげるのは間違っている。そう感じる。もちろん、これから制作者になろうと思う人たちはそういう作品を数多くみて、吸収してほしいが、そればかりが映像文化ではないことも承知してほしい。

映像は我々の日常に深く関わっている。しかし、映像が氾濫するようになって、その文化的平均値は大きく下がっている。そう思う。

日常われわれが触れる映像は単なる商業的制作物にすぎず、文化といえるようなものではない、という人がいたら、そのひとは間違っている。

現代において、文化は常に商業と密接なかかわりを持っている。どんな名作だって、金で売り買いされる商品だし、あるいは金を稼ぐための広告物だ。そうした商品や広告物の中は、昔の名作よりもずっと私たちに身近な文化だし、大きな影響を人々に与えている

そうした映像文化を考えている人間が、日本にはほとんどいない。私にはそうみえる。行政は、放送だの、通信だの、映像を送り届ける仕掛けの普及には熱心だが、肝心のコンテンツを作る人間には冷淡だ。

放送局は、NHKも含めて、映像の商売に熱心ではあるが、文化にはあまり関心がない。社会の手前、多少の金を出すことはしても、積極的にかかわることはまずない。

大学や専門学校などの教育機関はどうだろう。最近、映像について教える場所が多くなってきたと聞いている。しかし、上記のような、われわれの身近な映像の文化について、何かしているだろうか。一度、大学に聴講にでも行って、確かめてやろうと思っている。

結局、こういう意識をもっている人間がやるしかないのだろう。私の頭のなかにはNPO活動への指向が根付いている。映像職人を名乗っている期間はもうあまり長くないのかもしれない。

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