コンテンツの育て方 コンテンツ文化論

音楽はビジネスか?文化か?

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気になった記事。先日紹介した佐久間正英氏のブログ「音楽家が音楽を諦める時 」への反論である。

金がないから「いい音楽」作れない?~ビジネス感覚なき職業音楽家の末期症状 : つぶやきかさこ

しかしそれだけの時間とお金をかけて、
どうやってその予算を回収するのか?
職業として音楽をやっているなら、
ビジネスとして成り立つ適正コストを考えなければならない。
回収見込みもないのに、
お金をかけないといい音楽が作れないと嘆くなんて、
職業音楽家として失格ではないか。

要するにこの人のいいたい事は「音楽家だってビジネスなんだから、与えられた予算の中で最大限にいい音楽を作ればいいのであって、金がないからいい音楽が作れないなんて言い訳だ」ということではないだろうか。

ちょっと違うと思うんだな。

佐久間さんの言っているのは「いい録音制作物を作るのには、一定の予算が必要であって、それ以下になると品質に影響する部分も削らざるをえない」ということだ。

音楽家が音楽を諦める時 - Masahide Sakuma

この予算が抑えられると言うことは何かを削る事にしかならない。そしてその”何か”とは無駄を押さえることギャラやスタジオ代の交渉に留まらず、残念ながら『音楽の質』を落とすことになる。(…)

ただ確かに良い作品は作れるが、その”良さ”には限界がある。
僕らはもっともっと”良い音楽”を作って行かなければならないと思うからだ。それには60万の予算はあまりに制約が多すぎる。

ビジネスだから、与えられた予算、あるいは回収できる費用の中でやらなければならない、という、かさこ氏の主張はわかる。
だが、ある限度を越えてしまうと、今度は作品のクォリティが下がってくる。文化活動としては、それが耐え難い。

職業音楽家(プロ・ミュージシャン)というものを、ビジネスマンととらえるか、文化活動家としてとらえるか、という違いだろう。
この両面を持っていることは間違いない。 だから、両者の主張はどこまでも平行線だろう。

感想を言わせてもらえば、現代の状況というのが、文化を生み出す活動にとって、どんどん苦しい方向に向かっていると言うこと。
もっと余裕のある時だったら、この両者の議論はそんなに対立しなかっただろう。
そして、それは音楽家にとってだけではないのだ。

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