コンテンツの育て方 コンテンツ文化論

「音楽家が音楽を諦める時」を読んで

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音楽家の佐久間正英氏がブログにこんな記事を書いている。

音楽家が音楽を諦める時 - Masahide Sakuma

ここしばらく「そろそろ音楽を止める潮時かな」と漠然と考えている。
ここで言う音楽とは自分の職業としての音楽のこと。(…)

通算40年近い時間をかけて積み上げてきた録音物制作に関するノウハウがある。が、現在の状況、これからの時代を予想する限りその積み重ねた知識・経験は『伝承しようの無い』モノに過ぎなくなったと思う。

中間部分をばっさり省略したが、要旨は「よい音楽を作るにはコストがかかる。だが、制作費の低下によってそのコストがまかなえなくなってきた」ということだ。

著名な人物だけに反響も大きかったとみえる。
昨夜の投稿の追加文 - Masahide Sakuma  というエントリで言葉を足して、

”音楽を諦める”も同様に「いい録音物の制作を諦める?」と言うニュアンスで、音楽そのものや制作を放棄する、あるいは新しい音楽スタイルの模索や思考や指向を諦めるとかの意味では無いです。

と釈明している。

佐久間氏自身が自身の音楽活動をどう考えようとかまわない。しかし、「長年かけて積み上げた録音物制作に関するノウハウ」が「伝承しようの無いモノに過ぎなくなった」という発言は見過ごすわけにいかない。

実はこれと同じことが映像制作においてもおきていて、様態は違えど本質は同じだと思われる。

文化というのは、古典や名作の中にだけ潜んでいるものではなく、我々が普通に日常見聞きしているもの自体を言い換えたものだ。
エンターテイメントや広告、スーパーのチラシにいたるまで、その中に文化がある。

ある意味「文明栄えて文化果つる時代」になりつつあるのではないかと、危惧する。

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