映像文化を語ってみる

談合でないと守れないものもある。悲しいことだが…

2011/01/04

道路公団だの防衛施設庁だのの談合が問題になっているが…。

日々徒然に」というブログでこのような文章を目にした。

信じられない話だが、映像作品も、金額入札が行なわれるケースが多い。
(…)
 現に多くのプロダクションが倒産し、良心的な映像作品は作れないような環境になっている。これからもその傾向は続くのであろう。映像の業界は、談合がなく清潔ではあるが、ダンピング競争が熾烈そのもの。
(…)
 映像作品が金額入札になると、退廃していく以外にない。悪貨は良貨を駆逐していくものである。それが発注者には理解できていないし、生き残りに懸命な業界は、価格破壊の環境に沿って作品を作っていかざるをえないのが、悲しい現状なのだ。

これについては、同感である。

官庁は、映像作品の発注にあたって、価格競合で業者を決定すべきではない。
もし、どうしてもそうすぺきであるなら、まず企画競合でシナリオ等の作成者を決定し、シナリオを完成させる。完成したシナリオをもとに、価格競合を行って、制作する業者を決定すべきである。

たとえ話をしたほうが、理解が早かろう。

「建物を建ててください。使用目的はこれこれ」といって、設計図と見積りを同時に出させて競合とする。受注するためには、見積りを低くしなければならない。そのためには、設計じたいを安くあがるものにしなければならない。場合によっては強度を偽装して鉄筋を抜くかもしれない。結果、一番建物としての品質が低い設計図を出したものが受注を勝ち取る

国民の税金は少なくてすむかもしれないが、強度を犠牲にした品質の悪い建物が建ってしまう。それで、本当に税金を節約したといえるか。

これと同じことが、本当に日常茶飯事に官庁発注の映像作品では行われている。政府が主導権をとって、映像文化を壊しているのと同じだ。

政府が本当の意味で目覚めてくれないと、映像業者が談合するしか映像文化を守る手段がなくなるかもしれない。悲しいことだが…。

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