平成徒然草

「田舎という資源」を見直せ

911はアメリカ社会に大きな影響を与えたが、同様に311は日本社会のあり方を考え直す機会としてとらえられそうだ。

エネルギー問題などは非常に重要な点なのだけど、まだ考えがまとまっていないので、後に回す。
今回考えてみるのは「都市」だ。

大震災当日、東京の街には帰宅できない人々があふれた。
電車が止まってしまうと、多くの人々は職場から自宅への移動ができなくなってしまう。
つまり、職場と自宅が歩いては帰れないほど遠いのである。

通勤のためにどれだけ多くのエネルギーと時間が費やされているか、311は誰の目にも明らかにした。
集中して住むのが効率がよい、というのが「都市の思想」だ。
だが、実はその思想があやうさの上に立っていたわけだ。
311はその思想を見直すいい機会だと思う。

つまり「集中から分散へ」と大きな方向転換をする機会ではないか。

人がつねに歩いて20~30分で自宅から職場へ移動できる程度の小さな居住単位を、ある程度の間隔をあけて配置したほうが、すべてにわたって効率的なではないか。

たとえば、夏場の冷房である。
都市には数多くの冷房機があり、それぞれが 熱を発している。
つまり、エアコンの廃熱を食らわないために自らもエアコンをかけて部屋に閉じこもる、という状態なのだ。

今でも田舎へ行くと、エアコンがあってもかける機会は少なくて、扇風機で過ごして快適だったりする。
分散させただけで、冷房による電力は相当効率化できるのではないかと思う。

もちろん、かつてはどんな仕事をするにも人と人が顔をつきあわす必要があったために集まって住むのが効率的だったわけだ。
だが、それもITやネットの発達で補われているために、必ずしもFace to Faceが必要ではなくなっていると思う。

なにより日本には、見捨てられようとしている多くの「田舎」がある。
都市の要素を分散させて、田舎に職住一致のクラスターを数多く作るだけで、それらの田舎が活気づくことは想像に難くない。
「田舎という資源」をもう一度見直すことで、都市もまた息を吹き返すのではないかと思うのだ。

-平成徒然草