公平公正ってなんだろう?
気になったブログ。
清水国明オフィシャルブログ「清水国明の多毛作倶楽部」 『ちょっと過激な意見です』
今すぐ一人でも多くの人を救いたいという願っての皆さんのその義援金が、今救いを求めている人たちのところには、今は届かないということを、私は知りました。
先日、救援物資を被災地に運んで行った時、沢山の水や食べ物が山積みになっていました。
けれど、避難所の子どもたちに聞くと、すぐには食べさせてもらえない、とのこと。なんで?
公平公正が絶対ルールの行政主導で分配するので、全員に配れる数が揃うまでおあずけなのだそうです。
まさしく、小役人根性とでもいうべきか。
こういう時は弱者優先でいいはずだ。
たとえば、目の前に餓死寸前の子どもがいたとしたら、分配の担当者はどうするのだろう?
「全員が食べられないと、公正公平じゃないですから」
と、その子どもに食べさせることを拒否するのだろうか。
要するに、「誰を優先するのか?」という判断で自分が責任を問われるのがイヤだから、 判断の必要がない一律に配れるようになるまで待たせているのだ。
清水さんのブログは続く。
義援金はプールされ、募集期間を終えてから、行政関係者などが組織する分配委員会で討議されて公平公正に、公共事業などに使われるのだそうです。
これって?
非常に大切な事業であることはわかりますが、今すぐ助けたい募金者の思いが届いていません。
行政にたずさわる人は、常に必要とされる場所に支援をすばやく届けながら、全体として不公平、不公正がないように目を配るべきでだ。
言うほど簡単なことじゃない。だが、それができなければ、行政のプロじゃないだろう?
全員一律に配れるようになるまで待っているなら、誰にでもできる。
行政にたずさわる人は、プロ意識を持ってほしいのだ。
自分で責任をとる覚悟で、仕事に向かってほしいのだ。