コンテンツ文化論 映像文化を語ってみる

被災報道ラッシュが本当に世のためか?

気になった記事。

Yahoo!ニュース(夕刊フジ) 『テレビ局スタッフもPTSDに…報道映像がトラウマ』

「テレビの映像が過激すぎるという視聴者の声をいただき、映像の編集にはかなり気を遣っています。(…)」
こう明かす民放報道局デスクが、さらに顔を曇らせた。

「実はテレビ局内でもPTSDが問題視されているんですよ…。取材した映像素材の中には、多数のご遺体など悲惨さを極めた映像もあります。東京で編集するスタッフの間に体調不良を訴える者が出てます」

東日本大震災の発生以降、すくなくとも数日はCMもはさまず悲惨な映像のオンパレードだった。
その後も、報道優先の姿勢は各局変わらず、大量の被災映像がテレビ画面にあふれた。

仕事として接している編集スタッフでさえPTSDの発症が心配される状況だ。視聴者にだって同じことが心配されるのは当然だろう。
これは、要するに「報道による二次被災」以外の何ものでもない。

映像には破壊力があるのだ。
視覚聴覚によって多くの情報を得ている人間という動物だからこそ、映像によって心に大きな被害を受けることがある、ということだ。

心を癒す他の映像を見たいと思っても、震災直後はひとつもそんなものは放映されていなかったのだ。
視聴者は被災情報を直視する心の強い人間ばかりではない、幼い子どもたちやお年寄りたちなど、震災の恐怖を受け止められない視聴者もいるのだ。
仕方なしに報道特番を見た視聴者の中に、どれほどの影響を残したと思っているのだろう。

放送局の編成責任者は、一堂に会して「国家的災害の際、テレビ局にできることは何か?」を話し合ったほうがいい。
災害情報がすべての電波を埋め尽くすのが、本当に国民にとってよい状況なのかを、「報道こそ放送の使命」などという決まり文句を一度忘れて考えてみるべきではないだろうか?

なぜならば、あなた方は国民の財産である電波を独占利用することを許されているからだ。

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