平成徒然草

どさまわり首都論

たまたま目に止まった記事

エキサイトニュース「北京じゃもうダメかも…」中国でにわかに浮上「首都移転論」(サーチナ)

を読んで、昔考えて人にしゃべったことを思い出したので、メモ程度に。

日本でも首都移転論は昔からある。その候補地にあがった土地へ行くと、そのことが看板になっていまだに表示されていたりする。

だが、私はもはや「固定した首都」は作らないほうがいいのではないか、と思うのである。

そのかわり、毎年首都を変更してはどうか。
「今年の首都は○○県○○市になりました」と、年初(年度はじめでもいい)に議員と官僚が大移動をするのである。

当然、行く先は都道府県庁所在地などは過密だから、もっとスペースのある過疎地ということになる。何年か前から準備をして、議員や官僚の住居、議事堂や官庁の事務所くらいは建設することになる。

立派な建物はいらんのですよ。
庶民の住居、中小企業の事務所程度のものがあれば、事は足りるのだ。

だけどこれは、地方にとって大開発だ。当然、翌年になったら首都は別の土地になるので、空き屋、空き事務所が大きな規模でできあがる。
それを利用して、企業を誘致し、新しい都市を立ち上げるのである。

これを繰り返せば、地方はクニの予算でどんどん開発されていくことになる。
空いた旧首都という資源をどのように利用して地方を活性化するのか、それが知事や市長の腕の見せ所だ。

もうひとつ、この方式だと、国会議員や官僚が常に過疎地に在住することになるので、地方の問題に目がいきやすくなるということもある。
東京と選挙区の往復ばかりじゃ、過疎地の問題には注意が払われないのも当然だ。

いわばサーカス、いやどさまわりの劇団というか、そんな感じで政府が国内をまわっていけば、徐々に東京に一極集中しているリソースが地方にばらまかれ、平均化されていく効果もあるだろう。

日本ならではの、自然の美しさに包まれれば、汚れきった政治家や役人の心も少しはきれいになるのではないだろうか。

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