コンテンツの育て方 コンテンツ文化論

作品が無料の世界では、作者はどうやって食べていくのか?

気になった記事。

ギズモード・ジャパン『超巨匠コッポラ監督は言いました「無料ダウンロードありかも」

我々が新たな時代に身をおくにつれ、アートというものが無料になっているかもしれないからだ。学生達の言う通りかもしれない。彼らは音楽や映画を無料でダウンロードできるべきなのかもしれない。これはなかなかチャレンジな発言だか言おうと思う。誰がアートに金銭的価値をつけなくてはいけないと言ったのか? つまり、アーティストが収入を得ないといけない、と誰が言ったのだろうか?

うん? コッポラ先生は、アーティストは霞を食べて生きていける、と思ってらっしゃるのか?

その前の文章を読んでみると、こうだ。

アーティストがお金を稼ぎ始めたのはここ数百年のことだ。それ以前はアーティストはお金を稼いでいなかった、ではどうしたか? パトロンがいたのである。その土地のリーダーや、公爵、教会の権力者、そういった人達がパトロンとしてついていたのである。または、アーティスト自身が収入を得るために別の仕事に就いていた。かく言う私も、他の仕事もしている。映画を作っている、誰も私に指図しない。が、生活収入を得ているのは他の仕事であるワインビジネスの方である。

ウィキペディアを参照してみると、コッポラ先生はカリフォルニアでワイナリーを経営してらっしゃるようだ。
しかも、そのワインビジネスで多大な利益をあげている、という。コッポラ先生ほどの巨匠にしてそうなのか。

創作というものをビジネスと考え、金を稼ぐ手段として作品を作っている人もいるだろう。
だが、アーティストの多くは、創作活動(あるいは演奏活動など)に多くの時間を割くために、他の仕事を持たない道を選んでいるのじゃないだろうか。

そういう人たちは、作品に値段をつけることにこだわらない。自分が普通の生活をしていけるなら、作品は無料でダウンロードさせてもいいと思っている、のではないだろうか。むしろ、そうやることによってより多くの人に触れてもらえるなら、そちらのほうがいいと思っているのかもしれない。

アーティストがお金を稼いでいなかった時代、かれらの生活はパトロンが面倒をみていた。
しかし、現代にはもうそうしたパトロンはほとんどいない。
お金を持っているのは企業だが、企業がアーティストに金を出すのは利用価値(商品として、広告として、あるいは企業イメージを向上させるため)を見いだすからだ。そしてそれは、作品の価値とはまた別ものだ。

作品をお金に変えることをやめてしまったら、残された道は?

ひとつはコッポラ先生のように、フルタイムの道をやめ、他に仕事を持つことだろう。
いわば、アマチュア・アーティストに徹するわけだ。その中には、企業からの注文をこなしながら、自らの創作活動は無料で公開するという、クリエーター/アーティストの兼業というスタイルもあるだろう。

問題は、時間がとれないことだ。コッポラ先生のように経営者に徹するならば、時間のやりくりはつくかもしれないが、サラリーマンだと、どうしても使える時間は限られてしまう。

もうひとつは、パトロン・グループを持つこと、だろうか。
個人のファンを数多く集め、少額ずつ金を出してもらう、こと。 
次の作品を見たければ、そこまで自分の生活を支えてほしい、というお願いをするわけだ。

全部とはいわないが、そうした非商業的な創作活動の支え方というのも、あっていいような気がする。

コッポラ先生の投げかけは、たしかに興味深い。

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