映像文化を語ってみる

CGらしさ

2010/12/28

映像系エンジニア/アナリストの小寺信良氏がITmedia+Dのブログでこんなことを書いている。

ふと寂寥感がこみ上げてくることがある。というのは、昔のマリオネット時代は、メカの動きといい全部模型を使って実写でやっていたので、なにかこう、人の手の苦労の跡というのが画面からヒシヒシと伝わってきて、言いようもない必至感があったのだ。

だが巻き上がる砂埃や爆発の爆炎などまでCG化されると、どこをどう苦労したのかが、うまく伝わってこない。

これ、見ている立場からするとそのとおりだが、作る立場からすると難しいところだと思う。

今、CGはどちらかというとCGらしさを消す方向に向かっていると言える。
映画はもちろん、CMなどでも本当にさりげなくCGが使われていて、視聴者はそれがCGであることを意識せずに見ている。

流れがそうなので、フルCGアニメでもどちらかというと実写を模倣する方向に向かっていると思われるのだ。(さすがに人物など出てくると違和感は拭えないが)

私が業界に入った頃は、CGは「CGらしさ」そのものがウリだった。まだレンダリングパワーが足りなかったので、ワイヤフレーム全盛だった。しかも、CGにかかるコストが高かった。

予算がなかったので、アニメーターにワイヤフレーム風で描いてもらうこともしばしばだった。(今では信じられないだろうが、その方が安かったのだ)アニメーターは「こんな仕事が続くと、まともな絵が描けなくなる」と愚痴をこぼしながら描いてくれていた。

まあ、流れというものは時々逆転するものだから、いずれまた「CGならでは」の表現がもてはやされる時代というのが来ると思う。

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