コンテンツの育て方 コンテンツ文化論

テレビ局をオープン化したら?

昔から思っていることのひとつに、テレビ局というものを分割したらいいんじゃないか、というのがある。

テレビ局というのは、放送を電波に乗せるという機能と、その放送に乗せる番組を制作するという機能を持っている。
このうち、放送のほうは免許事業である。国から免許をもらわないと放送局は作れない。電波を使う権利もない。

だが、番組制作は誰でもできる。できるが、それを電波に乗せるためにはテレビ局に放送してもらわないといけない。 
テレビ局が番組制作を行うという建前上、誰かが自分で番組を作って、それをテレビ局に持ち込んでも普通は放送してくれない。

実際には、テレビ局の番組制作機能というのはすごく弱体化していて、作業のほとんどが外部業者への委託だ。 
ならば、テレビ局が番組を制作することを禁止したらどうなるのか? という思考実験。

テレビ局は放送すると同時に、それを収益化することに専念する。
つまり、コンテンツを買取り、それを放送して、お金にするのがお仕事。

番組というコンテンツ制作は基本、外部のコンテンツ制作者が担う。

これをどのように放送するかについて、テレビ局が主導すると結局今といっしょになってしまう。
そこでテレビ局の代表者と、コンテンツ制作者の代表者、それに視聴者の代表者が委員会を作って合議する。

電波というのは本来公共のものなので、それを私企業が占有するのであれば、公共性にもとづかなくてはならない。
これが建前で、だからテレビ局は公共性ということをとても気にする。 
でも実際は、視聴率競争が支配していて、公共のものとはとても思えない。

それならば、オープンな媒体にしてしまって、公共的な機関(行政という意味ではなく) がコンテンツの編成権を支配することにしたらどうだろう? という話。

いっそ、視聴者全員が株主みたいになって、一口ずつ金を出し合うというのでもいいな。
ペイテレビのような、コンテンツに金を支払う仕組みではなくて(それも組み込んでもいいが)、事業で収益があがったら視聴者にも還元される、というものだ。それなら、CMを見ても腹が立たないだろ?
つまり放送事業そのものを視聴者が合議して決める。

編成会議を中継して、dボタンで投票してもらえばいい。
双方向をうたっているんだから、視聴者の意志決定で運営することも可能なはずだ。

どこかキー局が破綻したら、こういう仕組みのテレビ局を作ってみたらいいんじゃないのかねぇ?

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