平成徒然草

「日本の未来モデル」を考える

私の友人で、地域振興プランナーである渡邉隆氏がこんなブログを書いていた。

アウトドアをまちづくりに「過疎のむらが日本の未来モデル」

私の考え方とも共通する部分があって面白いと思ったので、この文章にトラックバックしてみたいと思う。

この文章は二段になっていて、冒頭中国人観光客の誘致に血道をあげる自治体への戒めからはじまる。
この部分は、私が以前書いた「観光立国某国論」にも共通する部分がある。
しかしまぁ、ここでは問題としない。

中段からの文章が面白いのである。

ひとつ明確に感じることは、そう簡単に景気浮遊なんてことにはならない世の中になったということでしょう。経済対策、公的資金導入といって国の財源をあてにしすぎるのは、それこそ将来的な資本を食いつぶすだけです。しょうもない“緊急経済対策”の悪例、多数見てきました。

国や自治体財源に頼らない、もしくは微々たる活用にて自律しうる基本的なまちの姿、経済の姿を模索せねばなりません。

ここは同感。
私はもっぱら「くにの姿」として考えていたが、それはまず「まち」がそれぞれ自立し、それが基礎となって「くに」が成立しなければいけない、のではないかということだ。今はまず「くに」があり、それにぶらさがるように「まち」がある。

経済が成長しているあいだは問題は顕在化しなかったが、経済が低迷することによってそれらの問題がどんどん表に出てきた。
それは地方の小さな「まち」ほど深刻だ。 深刻だが、もはや諦めぎみのところが多いように思う。

渡邉氏は続ける。

人口は減ります。日本の将来の姿が、今ある過疎のむらに似てくるのかもしれません。最近そんな思いを持っています。(…)

主要な一次産業は低迷しているかもしれませんが、きっと旨いものがたくさんある。そして人情があり、相互扶助の関係が活きている。福祉に関しては問題点が多数あるものの、ずいぶん向上してきたと考えられます。永く働ける場所があり、お年よりは皆元気。(…)

私が感じるのは、いまだに「成長の幻想」を政治や国政にたずさわる人が抱いているのではないかと。

いま日本に必要なのは「縮小再構成」ではないかと思うのだ。
渡邉氏がいっているように、人口の減少はとまらない。
なら「少子化対策」というのは、子どもを増やすことばかりでないはず。
人口が増加していく時代に作られた制度や社会を、人口減少社会に合うように再構成することではないのだろうか。

地方の行政と、国政がそこで食い違っているのではないか。
地方行政にたずさわる人はその現実を知っているだろう。
だが、国の制度がそこを見誤っているのだとしたら、地方の問題は永久に解決しない。

経済が低成長になる未来をイメージすると、今ある過疎のむらが見えてくる。過疎のむらでの暮らしが、そこに住まう方々の幸せにつなげていくことができるなら、それこそ未来の明るい日本の姿が見えてくるのではないでしょうか?過疎のむらが日本の未来モデルになると思いませんか?

ここはねぇ、気持ちはわかるが説明不足。
たぶん渡邉氏の頭の中にはそれなりの像が浮かんでいるのだろうが、私には伝わってこない。
お年寄りたちがしあわせに暮らす過疎のむらは、都会が支えているはず。

私が思うのは、若者たちが否応なく都会に出て行かなければ生活できない現状をなんとかしなければいけない、ということ。
それは都会に惹きつけられていく若者たちの気持ちはわかる。
だが、気持ちの上では都会から地方に向かうベクトルもあるはずだ。
しかし、たとえば年金がもらえるようになった世代くらいしか、そのベクトルが発動して来にくい。
それはつまり、地方では都会と同じレベルの暮らしができない、と思うからだ。

都会から地方、地方から都会、両方のベクトルが釣り合うようにしなければならないのではないか。
どの地方に行っても、お年寄りばかりでなくて、中年、若者、子どもの各世代が釣り合うようにならなくてはいけないのではないか。

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