コンテンツ評論 テレビ番組評

最後のM1グランプリ

M1グランプリが昨日開催された第10回をもって終幕ということになった。

第10回のグランプリを獲得したのは、笑い飯。
何しろ笑い飯はファイナリストとしては常連。 いつグランプリを獲ってもおかしくない、と言われ続けてきた。
だからサプライズも何もない。
おそらく、来年からの彼らの芸能界の立場も、大きくは変わらないと思う。
あえて言えば、昨年の1ネタ目に出した「鳥人」がピークで、そこからは横這いなのではないか。

次点となったスリムクラブは、ほんとのサプライズだったと思う。
何しろ、このコンビについてはほとんど見た記憶がない。
「エンタの神様」で「怪物フランチェン」というショートコントをやっていたが、ボケの真栄田のみがステージに上がっていた。
漫才に関しては、まったく見た記憶がない。
スリムクラブの漫才は、奇人と常識人の会話を長い間でつないでいく、というある意味M1としての変則技だった。
漫才、というよりはコント寄りの芸だったと思う。
M1というと、1年間の研鑽をわずか4分間に詰め込むため、どちらかというと立て板に水のタイプが多い。
スリムクラブはそれに対してアンチな芸を見せてくれたわけで、これがウケるのももM1ならではの現象という気がする。

ともかく、テレビイベントとしてのM1は、自己矛盾に陥ってしまっていた。

4分間の漫才、という芸で選出されたファイナリストたちは、もはやテレビの画面の中でその芸を披露する場がなくなってしまった。
関西でこそ、土日の午後などに演芸番組があって、そこで漫才を披露する機会はある。
しかし、全国放送では、「エンタの神様」「レッドカーペット」など、いわゆるネタ見せ番組はほとんど終了してしまった。
もはや、漫才そのものの芸は、全国放送のテレビで見ることはほとんどない。

そもそも、テレビ界がM1ファイナリストたちに期待しているのは、漫才ではない。
いわゆるバラエティ番組に出演するテレビタレントとしての活躍だ。
話芸としての共通点はあるものの、両者はまったく違うものだ。
ネタを作り込み練習と本番を繰り返して完成度を高める漫才に対して、その場限りの瞬発力が要求されるバラエティ。
たとえて言えば、長距離走の選手に、短距離走をやらせるようなもの。

両方を器用にこなす芸人もいるものの、 両立しない場合が多いことは最初からわかっていただろう。
そういう意味で、ほぼ番組を埋め尽くすに十分な若手芸人が供給されたいま、M1が終わるのは当然ともいえる。

かつて、いや現代でもまだ、テレビはキングオブメディアとして支配的だ。
だが、これからは確実にそうだとはいえない。
テレビが衰退していっても、それこそセンターマイクひとつあれば成立する漫才というものは残るだろう。

そして新しいメディアが、漫才という芸にスポットを当てる日も来るだろうと思う。

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