映像文化を語ってみる

再生されることがないビデオ

2010/12/21

メールマガジン「日刊デジタルクリエーターズ(デジクリ)」の神田敏晶氏のコラム「恐ろしいハイビジョン時代」を読んでいて、興味深い一節があった。

(…)さらなる問題は、ミニDVテープでこれだけビデオ撮影されているのにもかかわらず、ミニDVテープが使えるハイビジョンレコーダーがこの世の中に存在していないことだ。

なぜか? AV評論家の麻倉怜士さんに聞いたところ「ミニDVで撮影された運動会ムービーは、再生されることがないんですよ」という回答をいただいた。つまり、記録として収録し保存することが目的であり、視聴することはあまり目的として考えられていないという。当然、メーカーも保存目的用のカメラだから無駄な機能はつけないという。

うーん、なんとも複雑な思いだ。せっかくのハイビジョンなのに……。

ミニDVテープが使えるハイビジョンレコーダーというのは、HDVレコーダーのことだろう。業務用のものなら発売されているが、たしかに家庭用のものは存在しない。

しかし、麻倉氏の「運動会ムービーは再生されることを考えられていない」という発言は、現在のビデオカメラという商品をめぐる状況を的確にとらえているようだ。もちろん運動会に限らず、家庭で撮影されるムービー全般についてのことだ。

ビデオカメラそのものは、日本の家庭には非常に普及していると思う。我が家になくても、隣に借りに行けばある、というくらいには普及しているだろう。

今のコンシューマー用デジタルビデオカメラは、過去のものに比べれば非常に高性能である。ハイビジョン対応でなくても、それで十分テレビ放送に耐えるような映像が撮影できるのだ。表現のツールとしても、十分に使用可能だ。

その普及している高性能カメラたちが、日々単なる記録でしかなく、再生されないビデオテープを生み出しているとしたら、これはとっても、寂しいことではないか。

要するに日本には「映像を作って、人に見せる」という文化がない。人に見せることを意識しない映像ばかり撮っているから、よりよい撮り方を覚えることもなく、編集の必要も感じない。撮ってはみたものの、見せられるシロモノではないと思うから、我が家の記録として押し入れ深くしまいこんでしまう。後年、成長した子どもたちと一緒に見ることがあれば映像にとって幸せなほうで、いずれ保存したことも忘れてしまい、引っ越しの際などに失われてしまう。

これは、そういう文化を作ってこなかった、ビデオカメラのメーカーにも責任があると思う。毎年子どもは生まれるから、ビデオカメラは売れていく。それでよしとした考えを、少子化の現在は、改める必要があると思うが、どうだろうか。

我が子の成長記録のために買ったビデオカメラのユーザーのうち数パーセントでも、映像を作ることの楽しさに目覚め、自分の作品を作ろうと志すような、そんな文化が我が国に根付くことを願ってやまない。

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