コンテンツ評論 映画・DVD評(洋画)

「アンブレイカブル」をみた

2010/12/11

アンブレイカブル [DVD]
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5 君もヒーローに
5 ヒーロー物が好きなら
5 ヒーローという犠牲者
5 二百本から選ぶ一本
5 映像美

これも、アメリカン・コミックスの文化が底流にある物語。
日本だったら、マンガはもっと多様なヒーロー像を描くので、絶対にこういう発想は出てこないと思われる。
ある意味、日米のヒーロー論が垣間見えて面白い。

デヴィッドは列車事故に巻き込まれ、唯一の生存者となる。
生存したばかりか、かすり傷ひとつ負わなかったのだ。
それどころか彼は、自分が生まれてこのかた傷を負ったことがないらしいことに気づき始める。

それを聞きつけたイライジャという男がデヴィッドに接近してくる。
彼は骨の病気に冒され、反対にきわめて壊れやすい肉体を持っている。
しかも、彼はどうやらデヴィッドを潜在的なヒーローではないか、と考えているらしい。

イライジャと接触を持つうち、デヴィッドは自分のヒーロー性を少しずつ自覚しはじめる。
それは、強力な筋肉だったり、悪者を見抜く勘だったりという、一見たいしたことがない性質だった。

ここらで思うのは、アメリカン・ヒーローの中に最初から「悪と対峙する絶対的善」の体現者という性質が求められているということである。
極端なハナシ、一般市民の誰もが「本来持っていなければならない」正義の味方的性質を、具体的に体現した者がヒーローだという考え方である。

これに対して、日本のヒーローは主に「誰かから付託された悪を倒す能力」を備える者であることが非常に多い気がする。
いわば、正義の味方的性質は、そもそも一般市民にあるものではなく、選ばれし者だけがそれを持つことができる。
その選ばれ方は血筋だったり、運命だったり、いろいろだが、むしろ貴種流離譚的な考え方なのではないか?

つまり、日本のヒーローは「一般市民のふりをしている、もともと悪を倒すという能力と使命を持った特別な者」なのだ。
これは水戸黄門やら、暴れん坊将軍やらの発想が底流にあるような気がしてならん。

で話は「アンブレイカブル」に戻るが、ラスト近くで、イライジャに鼓舞されたデヴィッドがついに自らヒーロー的な行動に走る。
とはいえ、本質的にスーパーヒーローに変身できるわけでもなく、きわめて泥臭くひとつの犯罪を暴き出し、罪もない一般市民を救うのだ。

その後、イライジャが意外なその正体(神話的意味での)を明かして、唐突にエンドとなるのである。
それは見てもらうとして、問題は描かれていないデヴィッドのその後だ。

きわめて中途半端なかたちでヒーローの道を歩き出すことになってしまった、一般市民デヴィッドは、どうなるのだろう?
そこがきわめて知りたい気がする。

「アンブレイカブル」という題名どおりに、彼は絶対に傷つかないのか? それすらも、明確にはなっていない。
強靱な肉体と、悪を嗅ぎつける能力と、それしか彼が頼るべきものはなく、しかも「水に弱い」という弱点まで与えられている。

それにもかかわらず、ヒーロー道を歩まねばならないのか? 私ならごめんをこうむりたい。
つまり、デヴィッドの悩みは解かれたのではなく、ここからはじまるはずだ。

彼は、自ら考案した奇抜なコスチュームを着て、覆面の下に素顔を隠し、ひとり孤独に悪と戦いはじめるのか?
そうしたとして、彼の心の平穏は得られるのか? 家族との生活はどうなるのか?

その物語が描かれることはないのだろうか? そちらのほうがぜひみたい。

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