コンテンツ評論 映画・DVD評(洋画)

「アバター」をみた

噂の映画「アバター」をみてきた。
どうせ見るならIMAXの3Dで見たいと思い、109シネマズ箕面に行ってきた。いまのところ日本にはこの系列が4館しかなく、関西ではここだけのようだ。
料金は一般よりはやや高く、2200円だった。

正直いって作品的に期待はあまりしていなかった。
「もののけ姫のパクリだ」「よくあるストーリー」「こうなるだろうと思ったとおりにストーリーが進行するので途中寝てしまっても問題なかった」というような声を聞いていたからだ。

だけどこのブログではあえてストーリー的なことを話そうと思う。

よくあるストーリーというのは、そのとおりだ。どこかでこういう話を何度も見た記憶がある。
3Dの体験性をメインにしたため凝ったストーリーにはしなかった、という話もある。

この話、SFであるが実はSF性はごく薄い。
舞台は未来、パンドラという惑星で、人類とは異なるナヴィという原住種族が登場するが、これをたとえば過去の植民地時代、アフリカなどの未開の地、そして黒人やネイティブアメリカンなど先住民に置きかえても全然同じストーリーが可能だ。

ストーリー中、登場人物のひとりグレースが明かすナヴィとパンドラの秘密。これが魅力的だ。魂の木を中心にして、ナヴィはその意識を過去の集合記憶と合体させることができる。
そういえばナヴィは動物を乗りこなす時、頭から出ている触手を介して直接動物と接続するようだ。

こういう種族の意識構造というのはどうなっているのだろう? 個と全体はどう認識されるのだろう? 意識だけが他のナヴィ族や人間や、動物、さらにはパンドラそのものに移ったりすることがあるのではないか。
こう考えると「アバター(化身)」というのはナヴィ族の精神にこそふさわしい言葉で、人類が使っている、ナヴィ族の身体に意識を移して行動する、という技術はその劣化したコピーなのかもしれない。
ナヴィ族の目で見ているパンドラの風景と人間の眼に写るそれとは違うものかもしれず、それこそ3Dで描き出してほしかったような気がする。

ところが結局、これらは単なる神秘性として扱われ、「だから守らなければならない」という結論を導き出すためだけにこの設定は使われた。もったいない話だと思う。

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